俺の肩の上にいるバケモノが口うるさい

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俺の肩の上には黒い影のようなバケモノがいる。それはいい。いやよくないけれどこの際それは横に置いておく。問題はそいつが俺の行動にいちいち文句をつけてくること。つまり口うるさいのだ。 「肉だけでなく野菜も食べましょうね?」 「お前は俺の母さんか?」 「ママと呼んでくれてもいいですよ?」 「俺はバケモノから生まれた覚えは無い」 「反抗期ですか?」 「お前みたいな黒いモヤモヤから生まれたら反抗したくもなるわ」 俺のママ…もといバケモノは俺以外の人間には見えていない。鏡に映らないし写真に写らない。俺の目にしか見えていないようだった。 「毎日毎日何でそんなに口うるさいんだお前は」 「君が心配なんですよ」 「お前は初めて現れた日からそればっかりだな」 ひと月ほど前、朝起きて目を開けると視界の端に黒い影が揺らいでいた。 視線を逸らしても顔を逸らしてもどこまでもついてくる。 目に埃やゴミが入るとどこを向いてもそれが見え続ける、あの症状に似ていた。 症状は似ていたけれど見える異物の大きさがまったく違う。 透明で細く存在感の薄い埃やゴミのような異物と違ってそれは黒くて大きくて存在感のあり過ぎる異物だった。 俺の視界の端、片目の半分近くを陣取って存在感を堂々と主張していた。 「何だよこれ…」 最初は目の病気かと思った。 テレビか何かでこのように視界の一部が黒くなる病気を見た記憶があったからだ。おぼろげな記憶を頼りにスマホに向かって検索する単語を入力していく。「視界 狭まる 病気」 「網膜剥離…眼底出血…緑内障…最悪の場合失明…?」 その手のサイトにありがちな恐怖を煽る文字の羅列に手が震える。どの文章も最後は「一刻も早く眼科を受診して下さい」で締めくくられていた。居ても立ってもいられず慌てて立ち上がる。 「早く病院で診てもらわないとっ…!」 「その必要はありませんね」 「え…何で…?」 「君に見えている黒い影は病気ではないので」 「じゃあ…何…?」 「私です」 「はい?」 「私が黒い影です」 「はい?」 「病気ではないので安心して下さい」 「えっと……近所の精神科は……」 「心の病気でもないので安心して下さい」 病気でなかったら何だと言うのか。 視界の端を覆っていた黒い影は次第にまとまっていき俺の右肩の上で一つの塊になった。 「何これ?俺呪われた?」 「誰が呪いですか」 「喋る黒い影が肩の上に乗ってるとか呪いにしか思えない」 「私は君を呪いたいわけではないです」 「じゃあ何でそこにいるの」 「君が心配なんですよ」 「え?」 「先程も随分とスマホに目を近づけていましたね?そのままでは視力が落ちる一方ですよ。なるべく時間を減らして見る時も出来るだけ姿勢を正して使用するように」 「お前は俺のおかんか!?」 それが俺のおかん…もといバケモノとの出会いだった。正体に関してはいくら聞いても答えてくれない。ただただ俺の肩の上にいる黒い謎の物体として俺の態度やら姿勢やら行動やら発言やらに口出しし続けた。 母さんのように。 ママのように。 おかんのように。 俺はおおざっぱでズボラで細かいことを気にしない性格だ。菓子類が好きで食事をそうした物で済ませてしまうことも多い。夜遅くまでスマホをいじっていてよく朝寝坊をする。 おふくろ…バケモノが口うるさく言いたくなる気持ちも分からないでもない。それでもついつい楽な方へ楽な方へと流れていってしまう。 今も学校へ向かう道をスマホをいじりながらだらだらと歩いている。 「食事はきちんと食べましょうね?」 「はいはい」 「夜は早めに就寝しましょうね?」 「わかったわかった」 「歩きスマホは止めましょうね?」 「死ぬほどうっとうしい」 「冗談でも死ぬなどと軽々しく口にしてはいけませんよ」 「お前は俺の母親か?」 「母の日が楽しみですね」 「何か欲しい物でもあるわけ?」 「規則正しい生活習慣を送る君が見たいです」 「それは一生贈れそうにないな」 「赤ですよ!!」 叫ぶような黒い影の声に踏み出しかけた足が止まる。その足先を乗用車がかすめるように走り去っていった。歩行者用信号は赤色で完全に俺の不注意だった。 「あっぶな…」 「あっぶなじゃないです」 「え?どうしたのマジな声で」 「いつも言っているでしょう?歩きスマホは危険ですから止めるようにと!」 いつもと違う怒ったような声にたじろいだ。 口うるさいバケモノだが声を荒げたり怒ったりしたことは今までになかった。 「この通りは交通量が多くて危ないんです。事故にあって亡くなった方も少なくありません」 そう言われて辺りを見ると枯れた花束がガードレール沿いに置いてあった。手向けの花は時間の経過によってくすんだ茶に変色している。 「どうか命を大切にして下さい。失ってからでは何もかもが遅いんです」 今にも泣き出しそうな声で振り絞るように言われると罪悪感を感じる。こんなにも親身になって俺の身を案じてくれる優しいこのバケモノは、母さんでもママでもおかんでもおふくろでも母親でもないこのバケモノは、一体何だというのだろうか。 「その枯れた花束は私達に手向けられたものです」 「私達…?」 「ここはとても危険な場所で、何人もの人がここで轢かれて命を落としているんです」 「ちょっと待てよ」 「そうした人たちの無念の気持ちが集まって私達になりました」 「待ってくれ」 「私達は君のような人を見るとつい口うるさく言いたくなるんです」 「おい」 「注意力が散漫になるから早く寝た方がいいと、頭に栄養が回らないからもっときちんとした食生活をするようにと、前方不注意になるから歩きスマホは止めるようにと」 「なあ」 「私達のようにここで轢かれて死なないでほしいと」 「待ってくれよ…!」 バケモノの形が崩れていく。 地面に零れ落ちて吸い込まれていく。 まるで飛び散った血のように。 「どうか私達の分までこれからも生きていって下さい」 「お前は…お前はこれから…どうするんだ…!」 「私達はずっとここにいますよ。君のような子がまた来た時に、口うるさく言う為にね」 車がひっきりなしに行き交う交通量の多い交差点で、白い花束を抱えた少年が注意深く横断歩道を渡っていた。よく睡眠を取った思考は冴えており、バランスの良い食事を取った体は健康そのもので、スマホを使うことなどなく背筋を伸ばしてしっかり前を見据えて歩いている。 「赤いカーネーションは血の色みたいで不吉だからさ」 枯れた花束を片付けて手にしていた白い花束をそっと置いた。 手を合わせて目を閉じる。 「もう君に口うるさくする必要はなさそうですね」 もう誰もいない肩の上からそんな声が聞こえた気がした。
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