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A song for your hope
*
「そのあとすぐに救急車を呼んだんだが、結局間に合わなくてな。悔しい思いも確かにしたけど、そいつの死に顔があまりにも穏やかでさ。好きな女の作った歌をおもいきり歌って、オレみたいなガキの未来を諭して……あいつなりに天寿を全うしたんだなって、そう思った」
百瀬の顔も、これまで見たことないほど穏やかだった。名も知らない音楽青年の魂が、そっと乗り移ったみたいに。
「懐かしいだろ、これ」
そう言って百瀬が取り出したのは、一本の折り畳み式ナイフだった。あ、と俺は声を上げる。
「それ……!」
「そう。はじめておまえと出逢った時、おまえを脅すのに使ったナイフだ」
「もしかして、今の話に出てきた人の……?」
「あぁ。返すタイミングを失っちまってな。誰も何も言ってこねえし、とりあえずそのまま預かってる」
「おまえ……そんな大事なもので人を脅しちゃダメだろ……!」
「なんでだよ。今の持ち主はオレだ。どう使おうがオレの勝手だろ」
「勝手じゃない! それはお姉さんを守るためのものだ!」
「んなこと知るか」
ぷい、とそっぽを向く百瀬。俺は盛大に頭を抱えた。せっかくのいい話が台無しだ。
「……それで?」
気を取り直し、俺は尋ねる。
「出逢えたのか、おまえの生きる希望になってくれる歌ってやつには」
百瀬はちらりとだけ俺を見て、「さぁな」と小さく肩をすくめた。
「あの日の歌声に勝る歌には、一生出逢える気がしねえよ」
一夜限りの儚い思い出に心を寄せる百瀬の横顔は、この上なく清々しいものだった。
これ以上、この話を深掘りするのは野暮だろう。俺は「そっか」とだけ答えて口を閉ざした。
すると、百瀬がブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。バイブレーションの音が聞こえる。
電話がかかってきたらしく、百瀬の表情が険しくなった。
「なんだ」
先ほどまでの穏やかさは消え去り、いつもどおり目つきの悪い顔に戻った百瀬は電話に出た。うんうんと時折うなずきながら、相手の話に耳を傾けている。
「はぁ!? なにやってんだよクソがッ!」
唐突に張り上げられた声は、怒りに満ち満ちていた。
「だーもう……! 気をつけて見てろよってあれほど念を押しただろうが! 何度言えばわかんだよてめえはッ!」
感情に任せてぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す百瀬。一体なにがあったのだろう。
「すぐ行く。オレが着くまでおとなしくしてろ。余計な真似はするんじゃねぇぞ」
おそらくは相手の返事を待たないまま電話を切り、百瀬はもう一度「クソ」と吐き捨てるように言った。
「あのデブ……無駄にデカいだけでクソほども役に立ちやしねえ」
デブ。
なるほど、電話の相手は熊さんか。あの人の名前を俺は未だに知らない。
不機嫌な顔で立ち上がった百瀬は、俺になど見向きもせず校舎内に向かって歩き出した。
「どこ行くんだよ」
「帰る」
「はぁ!?」
慌てて俺も立ち上がる。
「帰るっておまえ……!」
「わりぃな、池月。誰でもいい、三組のヤツに伝えといてくれ」
「ちょ、ちょっと待った!」
渡り廊下の扉に手をかけた百瀬を呼び止めると、百瀬は睨むように俺を振り返る。
「なんだよ」
「あ、あのさ……」
どうにも気になってしまったので、最後に少しだけ尋ねてみる。
「さっきの話……どうして俺に?」
訊けば答えてくれるけれど、複雑な家庭事情を抱えた百瀬は、すすんで自分の話をしたがることはあまりない。そんな百瀬がなぜ、俺を相手にほの暗い過去を突然し始めたのか。
答える代わりに、百瀬は穏やかに笑った。
「もう忘れろ」
じゃあな、と手を振った百瀬は今度こそ校舎の中へと消えていった。一瞬にして見えなくなったその背中を、俺はいつまでも追いかけてしまう。
「……素直じゃないヤツ」
まぁ、百瀬らしいと言えばらしいんだけど。
弁当箱の袋を取り上げ、俺も校舎内に向かって歩き出す。
次はいつ、あいつは学校に来るだろう。
そんなことを思いながら、俺は知らぬ間に笑みをこぼしていた。
【A song for your hope/End】
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