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One a quiet night three years ago
*
大きな音でも、大きな声でもなかった。
静かな夜に、静かに響くギターの音色。ややかすれ気味ではあったが、優しくて、どこかあたたかさも感じられる柔らかな歌声。
いつの間にか、その美しい調べに引き寄せられていた。
秋の月がぼんやりと輝くだけの、視界などほとんどない真っ暗な公園の中で、ベンチに腰かけたひとりの男が、ギターを抱えて歌っていた。
はじめて聞く曲だったが、一途な愛を唄ったものだということはすぐにわかった。男から女へ、あふれる想いを綴った歌。
「ご静聴ありがとうございました」
気がつけば曲が終わっていて、男はオレに向かってにっこりと笑いかけていた。目が慣れてきたおかげで、男の顔がほぼ完全に見える。
十代、あるいは二十代前半だろうか。モッズコートを羽織った痩せぎすな体躯に、やや長めでボサボサな黒い髪。やや垂れ気味の目が優しげな雰囲気を作り、さっきまで奏でていた柔らかな歌声とマッチしていた。
「わりぃ、邪魔したか」
「いいや、全然。ありがとうって言ったでしょ」
男は笑いながら、丁寧にギターをケースの中へと片づけた。そのままゴロンとベンチの上に寝そべり、右腕を額に乗せて大きく息を吐き出した。
「よかった」
絞り出すように男は言った。
「最後の最後で、お客さんが来てくれた」
ありがとうねぇ、と男は口もとを緩めて嬉しそうに笑う。それ以上何を言うでもなく、やがて静かに目を閉じた。
「おい」
無音の闇に得も言われぬ恐怖を覚え、オレはそっと男に近寄り、上からジロリと見下ろした。
「こんなところで寝るな。凍え死ぬぞ」
「そうだね」
「『そうだね』じゃねぇだろ。起きろよ。気持ちよく歌って満足したならさっさと家に帰れ」
まだ十一月とはいえ、今夜はいつになく冷え込んでいる。真面目に警告してやったというのに、男はいつまでもにへらにへらと笑うばかりでまるで起き上がる気配がない。
目を開けようとすらしないまま、男は飄々とした声で言った。
「ぼくの家を教えてあげようか」
「は?」
「すぐそこに、大学病院があるでしょ」
あぁ、と曖昧に相槌を打つも、件の大学病院は「すぐそこ」なんて距離にはない。地下鉄二駅分は優にある。
「そこがぼくの家」
「家って、おまえ……?」
医者や看護師ではないなと直感的に思った。確かに大学病院レベルの大きな病院なら当直勤務もあるだろうが、それを踏まえても職場を〝家〟とは称さないだろう。そんなことを平気で言うのは物語の世界に登場するやつらだけだ。
だとしたら、この男は。
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