30人が本棚に入れています
本棚に追加
「いいんだ、もう」
目を見開き、言葉を失うオレに、男は穏やかに語りかける。
「この世界に生まれついて十九年……今日まで生きてこられたことが奇跡なんだよ。自分のことは、自分が一番よくわかってる。今さら何をしたって、たかだか数日の延命だ。それに」
ナイフを下ろし、男は困ったように肩をすくめた。
「ぼく、子どもの頃から薬が大の苦手なんだ。できればもう二度と飲みたくない」
蚊の鳴くような声で言った男の呼吸が、どんどん遠くなっていく。己の無力さに愕然として、オレはその場に膝をついた。
――何が〝自由〟だ。
スマホを強く握りしめる。
本当に自由なら、どうしてオレは、こいつを救うことができない?
「やっぱり」
うなだれると、冷たいものが頬を伝った。
「やっぱりオレは、疫病神だ」
姉貴も、この男だってそう。
オレが関わった人間は、みんな死に向かっていってしまう。
いつだって、オレだけが死から離れた場所にいる。
誰も彼もが、オレを遺して遠ざかっていく。
大切なものはなに一つ、満足に手に入らない。
「顔を上げて」
男がかすれた声で言う。そっと視線を上げてみれば、きらきらとまばゆい月明かりが男の姿を照らしていた。
「きみは疫病神なんかじゃないよ」
真っ白な顔をして、男は真剣な眼差しをオレに向ける。
「ぼくの死を連れてきたのはきみじゃない。死ぬ運命が先にあって、そこにたまたまきみが現れた。ただそれだけのことでしょ?」
諭すような口調で言うと、男はオレの手を取り、片手で器用に畳んだナイフをそっと握らせてきた。
「守ってあげて、お姉さんのこと」
きっと嬉しく思ってくれるよ、と男は笑った。
手の中にあるナイフを見つめ、やがてそれを強く握る。
姉貴以外の誰かの言葉に素直に従うのは、これがはじめての経験だった。
「きみ、音楽は好きかい?」
嬉しそうに、男は尋ねた。
少しだけ迷って、オレは答えた。
「今、好きになった」
男はうなずくと、これまでで一番綺麗に笑った。
「いつか、きみの生きる希望になってくれる歌に出逢えるといいね」
それが男の、最期の言葉になった。
最初のコメントを投稿しよう!