One a quiet night three years ago

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「いいんだ、もう」  目を見開き、言葉を失うオレに、男は穏やかに語りかける。 「この世界に生まれついて十九年……今日まで生きてこられたことが奇跡なんだよ。自分のことは、自分が一番よくわかってる。今さら何をしたって、たかだか数日の延命だ。それに」  ナイフを下ろし、男は困ったように肩をすくめた。 「ぼく、子どもの頃から薬が大の苦手なんだ。できればもう二度と飲みたくない」  蚊の鳴くような声で言った男の呼吸が、どんどん遠くなっていく。己の無力さに愕然として、オレはその場に膝をついた。  ――何が〝自由〟だ。  スマホを強く握りしめる。  本当に自由なら、どうしてオレは、こいつを救うことができない? 「やっぱり」  うなだれると、冷たいものが頬を伝った。 「やっぱりオレは、疫病神だ」  姉貴も、この男だってそう。  オレが関わった人間は、みんな死に向かっていってしまう。  いつだって、オレだけが死から離れた場所にいる。  誰も彼もが、オレを遺して遠ざかっていく。  大切なものはなに一つ、満足に手に入らない。 「顔を上げて」  男がかすれた声で言う。そっと視線を上げてみれば、きらきらとまばゆい月明かりが男の姿を照らしていた。 「きみは疫病神なんかじゃないよ」  真っ白な顔をして、男は真剣な眼差しをオレに向ける。 「ぼくの死を連れてきたのはきみじゃない。死ぬ運命が先にあって、そこにたまたまきみが現れた。ただそれだけのことでしょ?」  諭すような口調で言うと、男はオレの手を取り、片手で器用に畳んだナイフをそっと握らせてきた。 「守ってあげて、お姉さんのこと」  きっと嬉しく思ってくれるよ、と男は笑った。  手の中にあるナイフを見つめ、やがてそれを強く握る。  姉貴以外の誰かの言葉に素直に従うのは、これがはじめての経験だった。 「きみ、音楽は好きかい?」  嬉しそうに、男は尋ねた。  少しだけ迷って、オレは答えた。 「今、好きになった」  男はうなずくと、これまでで一番綺麗に笑った。 「いつか、きみの生きる希望になってくれる歌に出逢えるといいね」  それが男の、最期(さいご)の言葉になった。
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