In the autumn wind

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In the autumn wind

「なぁ、池月(いけづき)」  十一月末の冷たい風が揺らす木々の葉は、秋を越え、早くも冬の(よそお)いだ。  昼休み中の俺たちは今、百瀬(ももせ)の特等席と言っても過言ではないここ、校舎四階の東渡り廊下にいる。正直に言おう。寒い。 「なに」 「おまえ、歌は得意か」  唐突すぎる問いかけに、俺は(から)になった弁当箱をしまう手をぴたりと止めて百瀬を見た。 「なんだよ、急に」 「いや、別に」 「別にって……」  意味がわからない。興味がないのに()いてきたのか。  そういえば、さっきからかすかにギターの音色が聞こえている。軽音楽部のやつらだろうか。校舎内ではなく、中庭で演奏しているらしい。  百瀬から視線を逸らし、止めていた手を再び動かしながら言った。 「期待に(こた)えられなくて悪いんだけど、俺、音楽はさっぱりなんだ。芸術選択も書道だし」  ふぅん、と百瀬は心底興味なさそうな相槌を打ち、廊下の壁に頭を預けて空を見上げた。なんだよ、せっかく答えてやったのに。 「そういうおまえはどうなんだよ、百瀬?」  訊いてから、はたと気がつく。百瀬たち三組の生徒が選択している芸術科目は確か音楽だ。 「百瀬……おまえ、もしかしてめちゃくちゃ歌がうまいとか、そんな特技隠してたりする?」 「いいや、まったく。音を外さずに歌える程度で、うまいと言われるにはほど遠い」  短い金髪が風に揺れる。私服の黒パーカーを羽織っているときはそれほど気にならないけれど、制服を着ると途端に髪色が浮いて見えるのは、心の隅でどこか彼を素直に高校生だと思えない俺がいるからだろう。 「だったら何なんだよ、さっきの質問の意味は」  俺に歌唱力を尋ねた理由を(ただ)すと、百瀬はかすかに息をついた。 「昔……まだオレが中学生だった頃の話だ」  遠くの空を見つめながら、百瀬はゆっくりと語り出す。 「話したよな? 姉貴が入院してたこと」 「あ、あぁ……」  いきなり重めな話を振られ、つい戸惑ってしまう。  百瀬のお姉さん――エミリさんの話は、美姫(みき)の事件の折に聞かされていた。  自由気ままに生きる道を選んだ百瀬の身代わりとして、国会議員であるお父さんからの期待と重圧を一身に背負っていたお姉さんは、百瀬が中学生だった頃、心を壊して自死を選ぼうとしたのだという。百瀬はそれを自分のせいだと言って今でも自らを責め続けているけれど、俺は必ずしもそうじゃないと思っている。 「毎日のように姉貴の病室に入り(びた)ってたって話もしたな」 「うん、聞いた」 「その頃……ちょうど三年前の今日だ。面会時間ギリギリいっぱいまで姉貴のところにいて、病院を出たその足で、オレはいつもどおりカミイチへ向かった。適当にふらついて、適当に金をバラまいて遊んでさ。けど、その日はどうにも気分が上がらなくてな。なんとなくひとりになりたくて、街から少し離れたんだ」  あぐらを掻いて上半身を楽にしている百瀬とは対照的に、俺はいつの間にか膝をきゅっと胸に抱え、百瀬の横顔を見つめていた。 「あの辺りって、駅の周辺は確かに歓楽街なんだが、少し離れるだけで普通の住宅地が広がる落ち着いた場所に出られるんだ。そこまで行くと、小さな森みたいなところの中にきちんと整備されてる公園なんかもあって、その日のオレは、普段なら絶対立ち寄らないそんな場所になぜだか目が行っちまった。……いや、目というより、耳がそっちに向いたんだ」 「耳?」  そう、と百瀬はうなずいた。 「誰かが歌を歌っててな……ギター一本での弾き語りだ。それが結構うまくてさ」  懐かしそうに目を細め、百瀬は中学時代の思い出の海を、ゆったりと揺蕩(たゆた)い始めた。
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