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後について廊下を抜けてキッチンに進むと、リビングでは音楽が流れていた。
柊木さんは少し音量をさげながら、
「ごめんね、練習してて」
「イベントで歌う曲ですか?」
「そう。昔やったミュージカルの曲なんだけどね。久しぶりだから歌詞を思い出さないと」
確かに、お客様の前で歌うのに歌詞を見ながら、というわけにはいかないだろう。
「変な話だよね。前に本番やってるんだけど」
「でもその後何本も別の舞台やってるんですよね?それ全部覚えてられるわけないと思いますけど」
「そう言ってもらえると有難いよ」
中には一度やった役のことは忘れないで欲しい!と言ってくるファンもいるらしい。
その役がそれだけ気に入ったってことなんだろうけど、ただでさえひと作品で覚える量が多いんだから、無理な話だと思う。
「人間には反復作業が大事なんだなって痛感する」
そう言って笑った柊木さんは、楽譜に目を落としている。
何か話さなければと思って来たものの、小さく口ずさむ柊木さんの歌に、意気込んできた気持ちが凪いでしまった。
炒め物をしていると聞こえないけれど、柊木さんの歌声を独占しながらの夕飯を作るなんて、とても贅沢だと思う。
練習がひと段落したところで、夕飯を食べる。二人きりでどうなることかと思ったけれど、柊木さんは美味しいといいながら食べてくれて、さっき歌っていた曲やイベントの内容を教えてくれて、まったく今まで通りの食卓だった。
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