18人が本棚に入れています
本棚に追加
第4夜 前編
4日目。夜9時にお店に着く。今日は開店より1時間早めに着くことができた。
木曜日。表の人通りはいつもと同じくらい。多くもなければ、少なくもない。そんな感じだった。
連日の徹夜続きのせいだろうか。体の節々が痛む中、ぼくは毎晩、お店で不可思議な出来事が起きる理由をひとりで考えていた。
もしかして……。そうだ。自分がお店の任務を放棄しかけたときだ。そんなときに、少々訳ありのお客様がうちのお店を訪れるような気がする。
最初の夜と2日目はスマートフォン、昨夜は遅刻して着いたらもうお客様が先に来ていた。
それでふと思った。それなら、お店を開いているときは、自分の任務に集中していれば良いんじゃないか。そうすればきっと、サラリーマンがゾウに変身したり、見えないクジャクを買うおばさんと短い旅に出ることもないだろう。
毎晩珍しい出来事が続いて、いささか疲れが出ていたぼくは、そう仮説を立ててから、思わず膝をたたいた。
午後11時55分。お店の開店から2時間が経とうとしている。
例のごとく、カフェの中は閑古鳥が鳴いている。
ぼくは、ネットニュースや電子書籍を見たい気持ちや、ソファに座ってうたた寝をしたい衝動をなんとか抑えながら、だれも来ないお店のカウンターのレジの前を、警備員のように黙ってつっ立っていた。
ときどき、筋肉をほぐすために体を伸ばす。 だいぶ肩が凝っているのを感じた。
本くらい読んでもいいかな……。ぼくはそう思ったが、あいにく今日は家から持って来ていなかった。お店の書棚に並んでいる本は、どれもコーヒーの専門書ばかりで、自分には難しく感じる。
ごくたまに、店の外に出て通りを歩く人をチェックするが、お店に入ろうとする人は皆無に等しかった。
やっぱり、シャッターは全開にしたほうが入りやすいんじゃないかな……。
ぼくは、自分の業務とは関係のない余計なことを考えそうになる度に、最初の夜に出会ったゾウの顔を思い出した。
そうか……。相手の立場に立って物事を行うことか。そうすれば、少しは相手の人のことを理解できるかも知れない。ぼくは、ゾウのいっていたことを自分なりに考えて、これからの接客に向けて心を備えていた。
そして、先月の家賃を払い忘れたまま海外に消えたおじさんの代わりに、どうすればお店の収益を伸ばせるか、色々な案を勝手にひとりで思い巡らした。これはこれでけっこう楽しい。
それにしても、そろそろおじさんから連絡が来ても良いはずなのだが。
ぼくがお店の中に戻ろうとしたそのとき、薄汚れて見えるジャンパーを着た初老の男性が、お店のそばをゆっくりと通り過ぎようとするのが見えた。
グレーの髪の毛を短く刈り上げ、一見強面ながらも、おとなしい目をしたその男性は、はっと立ち止まって、お店の中をじっと眺めた。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
ぼくは、落ち着いてお客様に挨拶をした。
その男性は無言で自分の顔をじっと見ると、中に入ろうとした。
ぼくはあわてて自動になっていない自動ドアを手で開いた。
おじさんからは、センサーで風が吹いても開くことがあるから、自動ドアは自動にしておかないように、といわれているのだ。
お客様はカウンターに腰をおろした。
「なにかご注文はございますか……?」
お冷やをお出ししてから10分。
黙って座り込んだままのお客様に、ぼくは声をおかけした。
お客様は、ぼくの顔を見ようともしないで、どこか遠くのほうを見るような表情をしている。その目つきは微笑ともいえる眼差しをしていた。
最初の日もその次の日も、昨日のお客様も、まず最初に自分から注文されていたのに、こちらの方は、ちょっと違うみたいだ。
「お客様……?」
ぼくはもう一度、お客様にお尋ねした。
お客様は、メニュープレートを見て、一言
「エスプレッソ」
とだけいった。
最初のコメントを投稿しよう!