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第4夜 中編
エスプレッソをお出ししたあとも、お客様はずっと変わらずに無言だった。
ぼくは、変だな……と思った。でも、本当はこれが普通なのかも知れない。カフェに来るお客様が、必ずしもお店の人と話をしたいから訪れるとは限らないからだ。黙ってコーヒーを味わいたいお客様もいるだろう。
それにしても、真夜中のこの時間に、すぐ目の前に座るお客様と向かい合いながらの沈黙は、とても辛く感じられた。
奥の部屋に逃げ込む訳にもいかないし、寝る訳にもいかない。かといって、今日のお客様は今のところ目の前にいる人だけだから、お皿洗いや片付けをする必要もなかった。
お店の棚の整理も整っている。掃除もさっきしてしまった。するべきことが見当たらなかった。
こんなときに限って、店内の有線放送が流れてこない。音響機器の故障だろうか。でも、色々動かしていると、ゆっくりくつろいでいるお客様の迷惑になるかも知れない。
自分のプレッシャーは時間が経つごとに蓄積されていった。
なにか話しかけてみようか……。ぼくは、昨日のお客様のいっていたことが少し心に引っかかっていた。
「共通の話題を見つけるのも一苦労よ……」
あのときは、まんまとうまくいいくるめられてしまったが、人間である限り、共通の話題は無限にある。ゾウとも会話ができたくらいなのだ。肝心なのはうまい話題の出し方と、それに対する返答だろう。
ぼくは思いきって口を開いた。
「今日も暑かったですね」
お客様は答えない。
ぼくは、もう一度、さっきよりも大きな声でいい直してみた。
「今日も、暑かったですね!」
返事はなかった。
ぼくの言葉が聞こえてないというより、返事をする気がない、という雰囲気だ。だが、機嫌を損ねたり、怒っているというわけでもない感じだった。
ぼくは、なにもギャグをいったわけではないのに、すべったような気持ちになった。
こういうとき、本当にギャグやジョークをいってみたらどんな感じになるんだろう。かなり古いが、「ガチョーン」とかやってみたら笑ってくれるだろうか。それをやっている自分を想像したら、少しおかしくなった。
でも、それをやることは、今目の前にいる人のことを考えた行動ではないことも、すぐに気がついた。
とにかく、そのお客様の沈黙は、なんともいえない雰囲気なのだ。上の空に近いのだろうか。なにか考えているようにも見えるし、なにも考えていないようにも見える。ただときどき、ちびりちびりエスプレッソを口にしていた。
ぼくは、今夜は外の様子がどうなっているか、少し気になった。
それで、お店のレジの近くの扉を開けると、ドアを開けて様子を覗いてみた。
そのとき、いきなり大きな銃声が鳴り響いた。
「えっ?」
ぼくは、外に出てお店の周囲を見回してみた。
すると、パッと周りが明るくなり、辺り一面が白い霧で覆われた。
これは……白夜だ。霧で覆われた並木道に沿った道路の向かい側に、白っぽい体の男の人が立っているのが見える。
急に現れた霧が、少しずつ晴れていき、男の人の顔が見えた。
「あれぇ? あなたは……」
「うるせぇ!」
大声で怒鳴り声をあげたその人は、なんとお店の中でずっとエスプレッソを飲んでいるはずの無口なお客様だった。
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