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第1夜 前編
1日目。おじさんから合鍵を預かり、お店のシャッターを開ける。
「なんか困ったことがあったら、またLINEしてくれ。じゃ、あとはよろしく」
おじさんは、まるで登山にでも出かけるようなリュックを背負って、足早にお店を出て行った。
時刻は午後9時40分。これから朝まで、お店の番をすることになる。
自分の肩書きはインターンということになった。エプロンにも、一応名札がつけられている。
「まあ、一応君は食品衛生責任者の資格を持ってるから、肩書きは名ばかりでいいんだ」
カフェの店番をはじめて4時間が経過した。シャッターを半分開けたままにしているせいか、お客さんはひとりも来ない。
おじさんによると、なんでも今回は真夜中の臨時営業だから、あまりお客さんが沢山来てほしくないという。しかし、全然客が入らないのも困るから、シャッターは半分だけ……ということだった。
まったくの素人に等しい自分に1週間もカフェの店番を任せるとは、おじさんも大胆なことをしたものだ。日頃から客が入らないお店だから大丈夫なのだろうか。
それにしても……とぼくは思った。世の中には、深夜開いているカフェはいくつかあるらしいが、なぜよりによって、店主である自分の留守中に、甥のぼくをおじさんは寝ずの番に任命したのだろう。
なにか裏があるのか……。ぼくは、なにかストレスや不安を感じると、眠気を感じたり、インターネットの世界に逃げ込む習性があった。
ぼくは、ズボンのポケットに入れたスマートフォンを取り出すと、ネットニュース一覧を開いた。
《俳優○○、5股不倫騒動さらに愛人が発覚!》
《芸人××、生放送でしゃっくりが止まらず苦情殺到》
いつものごとく、当たり障りのない記事見出しが並んでいる。
ぼくは、政治家や芸能人のゴシップ記事を読むと、まるで自分が不祥事を起こした当事者みたいな気持ちになり、落ち込むことがある。それでも、つい読まずにはいられなくなるのだ。
今日も自分は、人気タレントによる薬物事件の続報を読もうと、スマートフォンの見出しをクリックしようとした。そのときだった。
「こ~んば~んは~」
野太い男の人の声とともに、お店のシャッターをどん、どん、とにぶく叩く音が店内に響きわたった。
ぼくが自動になっていない自動ドアを両手で開けると、そこにいたのは、眠そうな目をした大柄なサラリーマン風の男の人だった。
「マスターは、今いる?」
「マスターはいません」
ぼくが答えると、その人はカウンターの席に座り、マスクをはずしてからいった。
「じゃグァテマラを一杯」
マスターがいなくても良いのか……とぼくは思いながら、すでに焙煎されたコーヒー豆の粉を取り出すと、おじさんに教わった方法でコーヒーを淹れはじめた。
時刻は午前2時を少しまわった頃だ。
「前に一度、ここのマスターに道を聞いたことがあってね」
そのお客様は、角砂糖を2つ、コーヒーの中に入れると、そういった。
「今度来たときは、お礼がてら、ここでグァテマラを飲もうと決めていたんだ」
ぼくは、「はぁ、そうですか……」と相槌を打ちながら、その人の長い鼻を見つめていた。その鼻は、子供の頃、父に買ってもらって読んだ「怪物くん」というマンガに出てくる宇宙人に少し似ていた。
「でも、ずっと残業つづきで、なかなか昼間来られなくてね」
コーヒーをすすりながら、お客様の表情がくもった。
「まさかこんな時間にやっているとは思わなかったよ」
お客様の顔はだんだん赤みを帯びてきていた。
「俺は酒が飲めないから、居酒屋には行けないけど、コーヒーは好きなんだ」
「はぁ、そうなんですね……」
ぼくは、初めてひとりで接客をしている緊張とは裏腹に、眠気と必死に戦いながらお客様の話を聞いていた。
「部長は俺が下戸だってこと知ってるから、飲み会にも誘ってくれなくなった。俺はいつもひとりぼっちだ……」
そのとき、ぼくは思わず悲鳴をあげそうになった。お客様の顔が、むくむくとふくれあがりはじめたからだ。
「俺は家庭でも会社でも、どこでも本当の自分を出せないんだ」
もし自分がヤンキーだったなら、「お前何者なんだよ」とわめきたくなるような光景がそこには広がっていた。
コーヒーを片手に話し続ける、スーツを着た長鼻で体の大きなお客様は、スーツを着たゾウに変身していたのである。
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