第7夜 中編

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第7夜 中編

自動ドアを両手で開け、半開きになったシャッターを少し持ち上げると、そこに立っていたのは、髪の毛をぼさぼさにして、くたびれた表情をしたスーツ姿の男の人だった。  黒縁のメガネをかけ、面長で彫りの深い顔つきをしている。歳は、おそらく40くらいだろうか。 「すみません。ここ、今お店やってるんですよね?」  低くかすれた声でお客様は、しっかりと確認するようにぼくの目を見ながらそういった。雰囲気が阿部寛に少し似ている。 「いらっしゃいませ。はい、大丈夫です」  ぼくも、思わず慎重な口調で答えると、お客様は少し安心したようにうなずきながら、お店の中に入ってきた。 「カフィをくれ」  メニュープレートを一目見るなり、お客様はそういった。 「カフィ……?」 「知らないのかい。コーヒーはもともとイタリア語でカフィと呼ぶんだよ」  ちょっと面倒くさいお客様が来たな……とぼくは思った。  確かに、コーヒーの語源がカフィであることは、おじさんとお店のお客様の会話を聞きかじって知ってはいたが、わざわざ注文のときにいう必要もない。それに、いってしまえばブレンドもブラジルも、エスプレッソもカフェラテも、カプチーノもみんなひっくるめてカフィなのだ。 「大変申し訳ありません……。どの種類のカフィでしょうか?」  ぼくがお客様に出来るだけ話を合わせながらそう尋ねると、お客様はしばし絶句し、顔を赤らめながら苦悶の表情を見せた。 「すまない……。またどうでもいい知識をひけらかしてしまった。これは私の悪い癖なんだよ」  そして、お客様は少し寂しげな顔でこういった。 「じゃグァテマラを一杯」  店内の有線放送は、90年~00年代に流行ったと思われる、一昔前のJポップを中心に流していた。 「君、知ってるかい?」  お客様はグァテマラを口に運びながら、さっきよりもほころんだ表情でぼくに話しかけた。 「音楽でも演劇でも、小説でも映画でも、人は、自分にとって親しみが持てるものしか好きになれないんだよ」 「だれかそんなことをいっていたのを自分も聞いたことがあります」  お客様は続けてこういった。 「はっきりいうけど、このカフィは格別だね」  有線放送でかかった曲が一旦止まったタイミングで、お客様のお腹の音が店内に鳴り響いた。  決まり悪そうに、お客様はいった。 「申し訳ないけど、なんか食うものないかい? いや、なければいいんだよ。ただ、この時間帯に腹ペコでね……」  時刻は午前1時。この近くに、コンビニの九時五時があるといいかけたぼくは、おじさんの言葉を思い出した。 「お客様には、どんなときも真心を込めてフレキシブルに……」  今、カウンターにあるドーナツ3個。分けない手はない。  ぼくは、口を開いた。 「実はその、ちょうどドーナツがあるんですけど、良かったらご一緒にいかがですか?」  お客様は目を輝かせた。 「い、いいのかい?」 「は、はい」  お客様は、大げさに身体を震わせると、こういった。 「君に、神の祝福があるように!」  なんだか調子がいいなぁ……と思ったぼくは、すぐに、目上のお客様に対して失礼な考えだったと反省し、頭の中でその言葉を打ち消すと、素直に「ありがとうございます」と答えて微笑んだ。  そのとき、ぼくはふと気がついた。  この人は……ひょっとして……。
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