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自分の姿は、家や建物の中も透視してはっきりと見える。
豆粒ほどの自分を目で追いながら、ぼくはなんともいえない気まずい気持ちになった。
ぼくは視線を左下にずらした。今度は、ありふれたオフィスにいる大柄なサラリーマンが目に入る。
なんとその人は、あの初日に来店されたゾウ人間のお客様だった。
お客様は、ハンカチで汗を拭いながら、にこやかな表情で挨拶したかと思えば、慌てたように電話をかけながらペコペコと頭を下げている。
ぼくが、今度は右下に視線を変えると、それぞれ帽子を被った若い男女が、小さな子供を連れて歩いているのが見えた。
その親子連れは、悩み事なんかひとかけらもないような顔をして、仲良さげに話しながら道を歩いていた。
その近くの公園に、ボサボサの頭を抱えた1人の男が、なにやらうめいているのが見える。
ぼくが顔を近づけてよく見ると、それは、なんと今晩お店を訪れている阿部寛似のお客様だ。
お客様は、しっかりと目をつぶり、何度も頭を揺らしながら、しきりにこうつぶやいていた。
「なんということだ。なんということだ。なんということだ……」
ぼくは顔をあげた。それから、今晩お店を訪れたお客様たちのことを思い返した。
ぼくがお店に戻ると、お客様はいつの間にか、2日目のお客様が置いていったカーディガンを羽織りながら、ソファで本を読んでいた。
お客様は、体をのけぞらせながら、わざとらしく満面の笑みを浮かべた。ある意味、喜怒哀楽がここまで分かりやすい人は逆に異常かも知れない。
「ドーナツ、もう1つあるんですけど、半分こにしていただきますか?」
お客様のパフォーマンスを無視してぼくが提案すると、お客様は、「ブラボー!」といって手を叩いた。
「いや〜、さっきはなんか、突然ネガティブな話題をぶっこんでしまって悪かったね。これは私の良くない癖なんだよ」
お客様は、目をこすりながらそういった。
「でも君に話したら、かなりスッキリした。話しただけでもスッキリするもんだね。グァテマラのおかわりを頼む」
ドーナツを分け合って食べながら、おもむろに、お客様はサインペンを取り出すと、ナプキンになにかを書きはじめた。
横線と、その上に「law」という文字が踊っている。
「知ってるかい? 英語の“law”は、“法律”とか“法則”っていう意味だけど、もともとは“神が置く”っていう意味なんだ」
お客様は、食べかけのドーナツをそのナプキンの上に置いた。
「法則っていうのは、その法則を考案した者の手中にある。科学とか道徳とかは、ある意味人が定義したものだけど……」
欠けたドーナツを持ちあげると、お客様は勢いよく口にほおり込んだ。
「その大元である法則は、全て神が考案し、モガ創造したものだ。だから、神にはそれをねじ曲げたり、飛び越えたりする権利と自由がある」
お客様は、コーヒーを飲んで一息ついた。
「それを人は奇跡と呼ぶ。腐ったものが元に戻ることもあり得るし、腐らせないでそのまま保つことができるのも、いわば奇跡といえるだろう」
お客様の目は涙目だ。
「あやうくドーナツを喉につまらせるところだったよ……」
ぼくは思わず、相手がお客様であることも忘れて吹き出した。お客様も、それに対抗するように、メガネを外し、涙を流しながらさらに大きな笑い声をあげた。
時刻は午前3時半。間もなく夜が明ける。
「牧師に必要な資質はね……」
お客様は自分に言い聞かせるように話をつづけた。
「スーパーマンになることでも、神に成り代わることでもない。
目の前にいる人を大事に思って、その人のことをよく知ろうとすることだよ」
お客様の目は、怖いほど鋭い。
「神が、自分のひとり子を犠牲にしたほどまでに愛している、隣にいる人を自分のように愛することだよ」
そしてお客様は、目をつぶって、「なんということだ……」とうめいた。
そして、だれにともなくいった。
「赦してくれ……」
ぼくは、それを見たとたん、ある夢のことを突然思い出した。
それは、亡くなったはずの犬のハッピーが、おばあちゃんの家の玄関の外に、ちょこんと座って、自分を見ながら、ちぎれんばかりに尻尾を振っている夢だ。
死んだはずのハッピーが生き返ってぼくに喜びの姿を見せる夢だった。
ぼくはその夢を見たときに、感激のあまり声をあげて、自分の声で目を覚ましたのだった。
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