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第3夜 前編
3日目。家を出るのが遅くなってしまい、夜10時20分ごろお店に着く。
カフェの前に、見知らぬおばさんが立っていた。
「あんた、店番の子かい?」
開口一番、おばさんからそう尋ねられた。老婆というには若い感じだが、年齢は母よりも少し上くらいだろうか。灰色の短い髪に、夏向けのニット帽をかぶっている。
「はい、そうです。遅くなってしまい、申し訳ありません」
「いや、いいんだけど。私はね、あんたんとこに店舗を貸している大家の者だけどね」
ぼくの問いに、おばさんは淡々とした口調で答えた。
「賃料がね……先月の分まだ貰えてないのよね」
げっ、やばいな……とぼくは思った。
「そうでしたか……。あの、マスターからなにか聞いていませんか?」
「うん、あんたんとこに甥っ子が1週間、社会勉強を兼ねて深夜に店番をするってことだけ聞いてるね。もしかして、貯金の残高気づいてないんじゃない?」
おじさんならあり得る。なにしろ、どこに行くともいわないで海外に行ってしまうような人なのだ。かなり上から目線でおじさんには悪いけど、きっと悪気があってやったことではないのだろう。
「それでさ、ちょっと相談なんだけどさ……」
おばさんは、そういってにやっと笑った。
「今日、ただでコーヒー飲みに寄らせてもらえないかしら」
断るわけにいかない……。ぼくはそう思った。
「いいですよ。ちょっと、準備が必要ですが」
「いや、今すぐじゃあなくていいのよ。今はすることがあるから」
おばさんは、そういって笑いながら手をふった。
「そうね、1時ごろお邪魔するわね」
さあ、どうしよう。
大家のおばさんは、この近くに住んでいる人のようだ。深夜1時に来店されるまで、また時間が余ってしまった。
1日目はゾウ人間とゾウ、2日目はドロの女とドロ男2人組。毎晩どうも変わったお客様ばかりが来店する。今日のお客様は果たしてどんな人なのだろう。
お店の清掃や棚の整理をしながら、そんなことを考えていたり、うたた寝をしていたら、3時間があっという間にすぎていった。
時刻は午前1時だ。
半分開けているシャッターから、おばさんの姿が見えた。なにかを持っている。
「いらっしゃいませ、お待ちしていました」
ぼくが、ドアを開けると、おばさんはにこりともしないで中に入ってきた。
「タンザニアひとつちょうだい」
おばさんが手にしていたのは、空っぽの大きな鳥かごだった。
「心配しないでいいよ。この子は大人しいから」
お客様の言葉を聞いて、ぼくは背筋に冷たいものを感じた。
見えない鳥がいるのか……。
考えられることは2つ。自分の目がおかしいか、お客様の頭がおかしいかだ。
「安心しな。中になにも入っていないことくらい知ってるよ」
ぼくの心を見透かしたように、お客様はそういってかかかと笑った。
店内には、おじさんが気に入っているノラ・ジョーンズの有名な曲が流れている。
「あんた、今イライラしてるようだね」
お客様が、コーヒーを一口すすると、ぼくにそういった。
「別に……」
「私は分かるのよ」
いわれてみると、自分は少し怒っているようだった。童話に出てくる裸の王様みたいなことをおばさんにいわれて、無意識のうちに腹が立っていたのかもしれない。
「案外、自分のことは自分では分からないもんよね。ところでさ……」
お客様はそういって、いきなり話を変えた。
「この鳥かごの中に、なにがいると思う?」
ぼくが、息をのんで押し黙ると、お客様は残念そうに続けた。
「マスターだったら、面白い答えを出してくれるんだけどねぇ」
そういうことか。自分は、今度は大喜利のつもりで、頭をひねってみた。
「キ……キジですかね。あとはクマンバチ。山鳩……」
「あんまり面白くないわねぇ」
ぼくの答えを一刀両断し、お客様はあくびをした。確かに、ぼくの回答はひねりもとんちもなく、全く面白くなかった。
「これはね、クジャクなのよ」
「クジャクですか。あの、羽のきれいな」
話を合わせると、お客様は身を乗り出して目を輝かせた。
「そう。ちょっとだけ話を聞いてくれる?」
お客様はそういって目を見開いた。
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