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第3夜 中編
お店の中が、大きく揺れ動いたような気がした。
お客様は、まるで気にするそぶりも見せないで、変わらずに話を続ける。
「私はもともと雪国育ちなのよ。生まれは東京なんだけどさ」
「へぇ、そうなんですか」
「寒い場所で育つと、我慢強くなるんだってね。なんだか知らないけどさ」
「へぇ、そうなんですね。あ……」
ぼくは、あんぐりと開けたまま、口がふさがらなくなった。
お客様の姿が、時間を逆行したようにみるみるうちに若返り、小学生くらいの少女へと変わっていったからだ。
お店も確かに揺れている。そして、少しずつ、ゆるやかに動きはじめた。
ぼくはお店の外に目を向けた。
並木道に沿った道路が、右から左に向かって、まるで列車の車窓みたいに流れて、ゆっくりと移り変わりはじめていた。
さらに、今は午前1時半なのに、遠くから夜明けの日の光が差し込んできている。
「進級と同時に離ればなれになったあの子、今はどうしてるのかなぁ……」
お客様は、見た目も声も少女なのに、話し方はおばさんのままだ。ぼくはお客様のほうと、お店の外の景色とを、交互に目で追った。
外の景色は、トンネルに入ったかのように一瞬真っ暗になった。その一瞬がすぎると、店の外は、どこか馴染みのある田園風景へと変わっている。日差しが明るくなってきていた。まるで昼間だ。
「女学生のとき、画家になりたいと思ったんだけど、結局ならなかったのよねぇ」
そう話すお客様の姿も、はじめは小学生くらいから、やがて中学生、そして女学生へと、ゆっくり移り変わっていく。
「本当にいろんな人と出会えたわね。かけがえのない人たち。親。親戚。近所の人。同級生。学校の先生。行きつけの駄菓子屋のおじちゃん。職場の仲間。夫。子供。孫。その他諸々……」
そして、ぼくにこう尋ねかけてきた。
「あんただってそうでしょう?」
「そうですねぇ……」
ぼくはお客様に合わせてそう返事をしたが、気持ちは目の前の変化に追いつくので精一杯だ。それに、まだ自分は大学生だから、出会いもまだこれからかもしれない。
やがてお店は、徐々に傾きながら、動きをさらにゆるやかにしていった。
外の景色は、どこかの住宅街の坂道を横から映し出している。まるでロープウェイに乗っているみたいに、新興住宅街の家々を見ることができた。
と、ある一軒家の庭先で、お店は動きをストップさせた。
そこに、バッグを手にした主婦らしき女の人が、立ち止まって庭先をじっとのぞきこんでいた。
「最初に見たときは、ホームセンターのペット売り場だったのよ。それはそれは見事なクジャクだった……」
はっとしたように、お客様はぼくの顔を見た。
「ごめんね、ずいぶんと自分の話ばっかりしちゃって」
「いえいえ今さら……どうぞ続けてください」
お客様はコーヒーのおかわりを頼んだ。
「私はね、ここのコーヒーの香りが大好きなのよ」
お客様は目をつぶって、手にしたカップを鼻に近づけた。
「それを聞いたら、マスターがきっと喜びますよ」
ぼくがそういったとき、またお店がゆるやかに動きはじめた。
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