怪物の近影

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怪物の近影

 会社員、櫻井(さくらい)(まこと)が殺害された。白昼堂々、スクランブル交差点ですれ違った男によって正面から、何度も何度も腹部を刺され、死亡した。  刺したのは19歳の予備校生で、逮捕されたとき、「殺人犯を裁いてやったんだ」と喚いていたという。  殺人犯――そう彼が呼んだのは、きっとSNS上で最近噂になっていた、『川嶋(かわしま)の共犯者』という言説によるものだろうと容易に予想はできた。  先日遺体で見つかった坂口(さかぐち)流佳(るか)の殺害現場がかつて櫻井の所有するものであったことや、その当時櫻井の素行が悪かったらしいという噂が流れたことによって、SNS上ではまるで事実であるかのように囁かれていた。  櫻井の自宅が特定され、自宅の外壁への落書きや、(たち)の悪いものだと、娘の莉奈(りな)に危害を及ぼすものもいたらしい。警察でも莉奈の警護が行われるようになり、それに対しても『犯罪者を守るのか』という、無数の“正義”たちが怒りの声をあげていたところだった。  この青年も、恐らくはそうした“正義”を振りかざしたひとりなのだろう――しかし、世間は青年に冷たかった。まるで異端者を見つけた狂信者たちのように世間は青年を吊し上げた。実刑判決を受けたあとも、SNS上で彼を異常者として扱い、その過去を詮索する声が多かった。  川嶋の生前から何も変わらない日常の、ほぼ省みられることのないだろうひとコマ。  瑛士(えいじ)は、復讐者にも狂人にも、はたまた“正義”の輩にもなれずに、ただ呆然とテレビやネットニュースを見ているだけだった。  さんざん彼を罵っていた者たちも、もう瑛士の存在など知らなかったかのように見向きもしない。そもそも、瑛士にとって生きる目的になり始めていた「復讐」すらも、もはや奪われてしまったのだ。   * * * * * * *  自分の足であちこち回り、櫻井の存在に辿り着いてはいた。けれど、なかなか踏み切れないまま、今さら辿り着いた櫻井の自宅で待っていたのは、涙に暮れるひとり娘の莉奈(りな)の姿だった。  涙に暮れる、大きな瞳。  あぁ、と息が漏れる。  この娘は、この先どのような人生を歩むのだろう? 過去に、この娘自身が犯したのではない罪によって危害を受け、更に親までも喪った。周囲からどのような目で見られることになるのか、想像に難くない。  そんな彼女のことを、哀れにも思う。  しかし。 「あいつには、こんな家族がいたのか……」  家族。  自分も、流佳と結婚しようと思っていた――家族になろうと思っていた。いずれは、目の前で自分を見ている少女と同じような娘にも恵まれていたかも知れない。  それを奪ったのは、この娘の父親たちなのだ。  そうか、そうか……。  櫻井の交遊関係は広かったらしいから、弔問客も少なくないのだろう。莉奈は、何も警戒することなくドアを開けてくれていた。 「どうしたの……?」  心配そうな声で、瑛士は自分が泣いていることに気付いた。あぁ、俺は、こんなに優しい子にも、出会えるかも知れなかったのだ。  …………………………。  怪物は、牙を突き立てる相手を選ばなかった。
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