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今日、初めての入居は全てスマホのアプリから操作した。なので玄関の鍵は既に開錠されている。玄関に入る。右手には姿見のついた白い靴箱とスツール。奥へと続く壁はオフホワイトの壁紙で覆われ、天井や床との間を取り持つ幅木も真っ白だ。そして綺麗に磨かれたフローリングは木の風合いを活かしたナチュラルな色合いだ。
玄関からの眺めを、ひとしきり観察した頃のことだった。
体感的に三分くらい経った頃かな。
「…ん?あれ…?」
ぐにゃん。周りの景色が曲がった気がする。
視界が狭まったような不思議な感覚も。
「え……」
瞬間、戸惑う。先程まで見えていた景色と違うことに。
さっきまで私は部屋の入り口、玄関ポーチに立っていた。それは変わらない。
ここも玄関だ。でも、根本的に玄関から見える景色が、違う。
玄関脇の白い靴箱は消えて、代わりのように設置されているのが木製のポールハンガー。壁紙も変わって、白壁ではなく縦ストライプと小花柄が愛らしいお洒落な壁紙に。剥き出しの幅木には蔦や鳥などの彫刻がみえ、その細工はとても繊細で美しいと思う。そして一番変わってしまったのが目の前の階段。この階段を登って部屋へ入るらしい。私の頭の上らへんに玄関との間を隔てる手すり。その手すりの間からちらっと古風な暖炉が見えた。
「ここ……どこです……?」
あまりの出来事に呆然とするだけでなく、たっぷり観察までした末に発した言葉は、ただただ間抜けなものだった。
まぢ、ここ、どこ…?
玄関のドアはいつの間にか閉まっていた。
閉めた覚えなどないというのに…。
後ろを振り向いて見上げたドアは、オーク材でつくられた、どっしりとした構えの立派な玄関ドアである。
こんな大きな扉、閉まったら絶対に音が出る。気配なく閉まるなんて有り得ない。
訝しんでいても始まらないと、勇気を振り絞ってドアハンドルを握って押してみる。するとドアは多少の重みはあったが苦もなく開いた。
ギッ、ギギッと蝶番の軋み音を耳に拾いつつ、私はドアを開け放つ。
「どこよ、ここおぉぉ………」
玄関ドアの向こうは森だ。木々が生い茂り、小鳥が舞い、そこらの茂みからはなんだか小動物が顔を覗かせてそうな…。
しかも明るい。マンションに着いたのは夕方だったのに。夕方に自宅入りして夜の便で引越し荷物を受け取り、明日は祝日だし一日使って荷解きする予定だった。
だから覚えてる。
今現在の空模様は夕暮れどきのはず。決して明るくないはず。青い空の真上にお日様なんてないはずだ。ないはずだ。ないはずだけど、あるし…。
燦々と照り続けるあの太陽…なぜだろう。二つに見える。私の目がぶれたとかそんなんじゃく、丸い太陽がまるで寄り添うように二つ、空にある。
太陽二つもあったら暑いんじゃないかと思うが、気温は春の陽気より幾分か涼しい気がしていた。
ああ、あの太陽が沈んだら何が登るのだろう。月かな。月あるのかな。月も二つだったりするのかな。
そもそもあれは太陽という名前なのかな?
疑問に思っても答えてくれる相手がいるわけもなく。
考えても虚しいだけ…。
私は玄関のオークドアを閉めた。
閉めたからには鍵をかけたい。
鍵…鍵…鍵穴どこだ…?
鍵穴が見つからない。
そしてロックをかけるための何がしかの番もない。
「え。何、この家ノーロックですか?」
『んなわけナイじゃーん。魔法よ魔法。魔法の言葉を唱えるの。鍵がかかる呪文を唱えなさいナ』
すわ、天の声??!!
声のした方、すなわち天井を見上げるが誰もいない。
誰かいたらいたで怖いだけなのだけれど、声はしても姿が見えない方がよっぽど怖い。私は震えた。
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