影孤ノ夜

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 夜に、諸々の匂いと喧騒が熱となり浮き立ち、暑さに拍車を掛ける。  提灯の赤い火の連なりは、温泉街に挟まれた黒い川面にも色を落としていた。  鬼見の市。提灯連なる通りが、今宵は全てそうだ。  その一画──黒マントの自警団員が他所よりも狭い間隔で配置された場所が、文字通りの売り場である。  売り物に、生き死になど関係ない。  私が先程からずっと見つめている、檻の中のものは生きている。  爬虫類面(はちゅうるいづら)の店主は並ぶ檻の前で、大声上げて何度もその商品を宣伝している。  人間の子供。男。見目好く、鑑賞愛玩向け。  人間の商品は昨今ではめずらしくなりつつある。理由としては、人間の心の変化により、我々の世界との繋がりが希薄になっているからだという。  あいにく商品は檻の隅でうつ伏せに横たわっており、顔までは確認できない。小さな身体と、服から伸びる手足の白さ細さだけはわかる。私も気になってはいるのだ。  店主の宣伝が、私から向かって右隣の檻に移った。  人間の大人。男。死体。状態良く、鑑賞愛玩その他諸々に使用可能。  こちらは瞳孔が開き、確かに死んでいるらしかった。黒いコートを着ており、きりっとした美貌が死に固められている。そそる者にはそそるかもしれない。  どうも今月の人間の商品はこの二体だけのようだ。それでも、めずらしいものを用意できて店主は鼻高々そうではある。  売り場には獣の匂いも濃く漂っているが、私はどちらの人間からもその特有の匂いを感じ取っていた。  そこに麝香(じゃこう)の匂いも入ってきたので、視線をずらす。 「あらいい男」  裏通りの銀猫たちが、売り場にやってきた。いずれも着崩した見事な着物と繊細な髪飾りで、提灯の明かりをきらびやかに受け、存在を誇示している。相変わらず顔には半猫面を着けていて、そういう秘匿性が売りなのだそうだ。私にはよくわからないが。  店主は銀猫たちに死体の男の説明を繰り返す。 「死んでますますいい男じゃないかい」  銀猫たちの、袖で隠した笑いがさざめいた。着物から覗く長い尻尾が波打って伸び、撫でるように降りて、死体への欲のある関心が伺えた。  彼女たちは顔を突き合わせ話し合う。 「買いましょうか?」 「こんな綺麗な死体、滅多に入ってこないものね」 「まあ他も見てから決めましょうよ」  その時、「おいそこの」と店主が険のある声を飛ばした。  私の視線は、銀猫たちの動向に釘付けになっていたので、その声を聞きつつも流していた。 「あんたのことだよ、さっきからずっと見てるそこの」  ようやく私のことを言われているのだと気づいた。 「いつまでいるんだ、金なんてないだろさっさと出てけ」  店主の言ってることは事実である。私に金がないことは、一部で有名だ。  私は警備をしている自警団員の背中にいたが、地面へ伝い降りると水の流れのように立ち去った。  大通りを進む私を、様々なかたちの足が踏みつける。別に痛くはない。  市の今宵は境界である大橋から多種多様な者たちがやってきて、温泉街は混沌となるのだ。その様相は私にとっても、月に一度の楽しみだったりする。  金や檻の中の子供のことを考えながら向かったのは、知り合いの元だった。
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