■ 月曜日 5 ■

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 京香は一つだけと言ったが、瑞輝には満開に見えた。正確にはそう見えたわけではない。満開の桜の花の下にいるような香りと色を感じたというのが正しい。光が反射して花吹雪のように感じるだけだ。全部俺の気のせいだってこともわかってる。瑞輝はそれでも桜を見上げるのを止めることはできなかった。 「あ、良かった」  小さな声がして瑞輝は視線を桜から離した。遠くから藤崎が走ってやってくる。 「さっき言い忘れたことがある」藤崎は瑞輝の前に来ると、息を切らせて言った。 「逃げないから、ゆっくりでいい」瑞輝は笑って言った。藤崎はうなずいて、息を整える。その間、瑞輝は桜を見上げていた。葉が生き生きとして煌めいているのだろう。それが花に見える。それにしてもきれいだ。地震で地脈、水脈、風脈が変わったのか、以前よりもずっと元気そうだ。来年の春はきっともっとすごい花吹雪が見られるのだろう。 「入間、おまえの剣は人を殺すためだと言ったのを撤回したい」  息を整え終わった藤崎が言って、瑞輝はゆっくり視線を彼に戻した。 「何、言ってんだ。実際、そうなんだから撤回も何も」 「違う」藤崎は怒ったように言った。瑞輝はそれに戸惑い、首をひねる。 「何が」 「さっきのは、あれは全然違った。あの動きはそんな物騒なもんじゃない。きれいだった。すごく…何ていうか…感動した。さっきの剣には殺気はなかった。だから俺が前に言ったことは気にするな」 「はぁ」瑞輝は眉を寄せた。「それ言うために走り回って俺を探してたわけ?」 「探し回ってたわけじゃない。ちょっと探しただけだ」 「汗だくだよ」瑞輝は藤崎を見て笑った。  藤崎は自分のシャツが体に張り付いているのを見た。確かに校門の外まで走って、入間瑞輝を見なかったかと手近な生徒に聞いたら、さっき向こうで誰かとぶつかって転んでたと言ったから保健室に行ったら、保健室には鍵がかかっていて、廊下から見える中庭を見ると桜の前に佇んでいる瑞輝が見えたから走って来た。 「剣道部に入るのは、やっぱりナシにしてほしい。俺はああいうのは無理だと思った」  瑞輝は藤崎に言った。先生が悲しむかもしれないと思うと少し心が痛んだが、嘘を言うわけにはいかない。 「無理じゃない。おまえなりの剣道を見せてくれればいい」藤崎は言った。  瑞輝はうなずく。「俺の道は俺にだけ見えてたらいいんだと思う。他の奴が見ても理解できない」 「理解とかじゃなく、おまえの姿を見るだけで、うちの剣道部の意識も変わると思うんだ」 「俺は剣道部のために生きてるわけじゃない」  瑞輝に言われて、藤崎は次の誘いの言葉を飲み込んだ。そう言われて初めて、自分が何のためにこの生徒を剣道部に誘っているのか、本当の理由を問われた気がした。 「人を殺すための剣じゃないのは自分でもわかってる。俺自身を守るために習った技術だと思ってる。でもそれが結果的には危ないとこまで行ってるんだろうなってのも思う。剣道部のレベルに合わせるのは、たぶん手を抜いたらいくらでもできる。剣道部に喝を入れることも、試合で勝つのも簡単な気がする。そうしたいかって自分に確かめると、俺はそうしたくない」 「そうか…」藤崎はうなずいた。剣道部のため、というのは口実だ。本当は瑞輝のその孤高ぶりが心配だった。しかしどうやらそれも杞憂かもしれないと思う。 「ただ、先生との剣合わせは確かに気持ちがよかった」  瑞輝が言って、藤崎はパッと顔を明るくした。「ホントか?」
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