■ 日曜日 3 ■

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 どっしりとした背広姿の男が立っている。彼は梅沢に向かって深く礼をした。梅沢も礼を返すが、瑞輝を見て耳打ちした。「どなた?」  瑞輝は眉をちょっとあげた。「何て言うのかな…知り合い? …のおじさん」  梅沢は首をひねる。 「ちょっとお話をしても?」伊瀬谷氏は梅沢に聞いた。 「どうする?」と梅沢は口に出さずに瑞輝を伺う。瑞輝はうなずいた。  梅沢は伊瀬谷を中に促し、そして自分は席を外した。どうやら紳士らしいから患者に危害は加えないだろう。それでも梅沢はチラリと最後に瑞輝を見た。瑞輝は大丈夫だというように笑った。  梅沢が出て行くと、伊瀬谷はベッド際に立ち、瑞輝の怪我を目で検分した。 「自転車で田んぼに突っ込んだと聞いた」伊瀬谷は静かに言った。 「正確には、突っ込んだのは用水路で、その後に田んぼに落ちた」瑞輝は楽しそうに笑った。  伊瀬谷は何が楽しいのだろうとじっと相手を見た。瑞輝はその視線を感じて、すうっと笑みを消した。 「何の用?」瑞輝は真顔で言った。  伊瀬谷はじっと彼を見た。 「正確な話を聞きたい。白い車が君を突き落としたという証言があるんだが」  瑞輝は笑った。「そんな感じだったな」  伊瀬谷は眉を上げた。「警察に伝えたかな?」 「聞かれてない。聞いてない事は答えなくていいって」 「では今、教えてほしい」  瑞輝は伊瀬谷を見る。「そっちが教えてくれたら」  伊瀬谷は眉を寄せた。「捜査情報は教えられない」  瑞輝はさっきと同じような楽しそうな笑顔になった。「そんなこと期待してないって。自転車の修理代を教えてほしい」 「修理代? それはもういいだろう。今回ので廃車になったんだし」  瑞輝は眉を寄せた。「廃車? 聞いてない」  伊瀬谷はマズい事を言ったかなと思った。「君の怪我を補うように、自転車の被害の方が大きかった」  瑞輝はポカンとした。「そっか」とは言ったが、まだ混乱しているような表情をしている。  伊瀬谷はしばらく黙っていた。入間瑞輝にとって、あの自転車がどういった意味を持っているのかはわからない。しかし相当大切だったのだということは雰囲気でわかる。大切なものを失った気持ちは、それが他人にとってはどれほどつまらないものであっても、本人には大きなものだ。 「しょうがないな」瑞輝がぽつりと言った。「来年になったら免許だって取れるし。自転車なんかいらねぇのかもしれないな。ショックで昨日のことを忘れたかも」  そう言って最後は笑う。伊瀬谷は黙っていた。忘れられては困る。  瑞輝はつまらなさそうに息をついた。 「警察の人は事故って言ってた。当たった車はすぐわかるだろうけど、俺の怪我はいつもすぐ治るんだし、示談でいいだろって。うちの宮司もそれでいいって言ってたよ。話はついてんだ」  伊勢谷は眉を寄せた。「君はそれでいいのか?」 「いいよ。退院するんだ」 「今から?」 「財布が来たら」瑞輝はベッドの横にそうっと足を出して伊瀬谷と向き合った。胸を少し押さえる。  伊瀬谷はそれを注意深く見つめた。瑞輝は体勢を整えると、伊瀬谷を見上げた。
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