■ 日曜日 3 ■

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 赤井診療所の上の赤井家に入るのは久々だった。いつもは診療所でおやつを食べて帰るだけだったから、家の方に入る機会は滅多にない。二階と三階が住居になっていて、二階は引退した泰造の父母の家、三階が泰造たち家族の家だった。 「花梨は?」瑞輝が言うと、泰造はキッと鋭い目で瑞輝を見た。「花梨に何の用だ」  瑞輝は息をついた。「狙ってねぇよ。いないから聞いただけ」 「どうだかな。花梨が十六のとき、おまえは二十八だろ。充分危険だ」 「そんな年まで生きてるかどうか」 「俺がか?」泰造はムッとなって言った。 「俺が」瑞輝はソファにゆっくりと座った。開業医の家にしては質素な家だった。瑞輝は仕事柄、金持ちや名誉や権力のある人間の家にも行った事があったが、泰造の家は高価そうなものは少ない。泰造の妻の千佳がナチュラル好きなので、シンプルなリネンや素朴な陶器、木の板目の見える家具といったものに囲まれているせいかもしれない。もしかしたら壁にかかっているアンティーク風の鏡も、本物のアンティークでバカ高いのかもしれないが、瑞輝にその価値はわからない。 「バカなこと言うな。おまえみたいなバカは長生きする」  泰造が棚の奥からクッキーを出してくれた。それと微糖のアイスコーヒー。 「で、花梨は?」瑞輝は聞いた。 「千佳ちゃんとショッピングだよ。おまえの退院に呼び出されなけりゃ、俺も一緒に行って家族で楽しい日曜日だったってのに」 「そっか。ごめん」  泰造はエル字型のソファの短い方に座った。「謝るな。謝るぐらいなら入院するな」  瑞輝はうなずいた。そうだよな。 「空気が重い」泰造はそう言って怒った。「反省するな。好きで入院してるんじゃねぇって言い返せ、バカ」  瑞輝は苦笑いした。「俺の事嫌いだろ?」 「そうだ、大嫌いだ」泰造はフンと横を向いた。「晋太郎が頼んでこなけりゃ、迎えになんか行くか」  瑞輝は目の前のテレビボードの上に並んでいる写真立てを見た。何度か見た事がある花梨の生まれた時の写真、それから座った花梨、立った花梨、家族で旅行に行った時の写真、それから幼稚園の入園式の花梨。 「俺を伊吹山に置いて、買い物に行けばいいのに」  瑞輝はクッキーにもアイスコーヒーにも手をつけずに言った。 「今日はばあちゃんも出てるんだろう。晋太郎もいないのに、おまえを一人にできるか」泰造は迷惑そうに言った。 「大丈夫だ。俺を何歳だと思ってんだ?」 「十七のガキだ」 「留守番ぐらい花梨ぐらいの頃からしてる」 「留守番のプロだな」泰造はニヤッと笑った。「だから監視がいるんだ。おまえは留守番してると、勝手に風呂掃除もするし、飯も炊くらしいな。神社の掃除もやるって聞いた。晋太郎がそれを阻止しろって言ってる」 「なんで」 「倒れて意識を失った翌日ぐらいは安静にしてろってことだろう。めまいもしてるんだろう?」 「めまいじゃない。揺れてるんだ」 「だからそれは医学的にはめまいって言うんだ」 「みんなが気がつかないだけだ」 「みんなが見てないものを見てるのが幻視だ。みんなが聞いてないものを聞いてるのが幻聴だ。みんなが揺れてると思わないのに揺れてるのがめまいだ」 「なるほど」瑞輝は息をついた。「オーケー、めまいだ」  泰造はゴクリと自分のコーヒーを飲んだ。
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