■ 日曜日 3 ■

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「してねぇよ」瑞輝はムッとした。ちょっとピンクのタンクトップ姿を思い出しただけだ。 「けなげだなぁ。マカロン姫はそれでもいいって思ったんだな。あなたに好きな人がいてもいい。私はあなたが好きだから。って感じか。それとも略奪してやるわと静かに闘志を燃やしてるかもしれないな」 「略奪って、ユアとは何でもない」  そう言ってから、瑞輝は山内章吾が言っていたことを思い出した。ユアは本当に俺のためにチーズケーキを作ってくれたんだろうか。他にチーズケーキ好きの男がいるんじゃないのか。 「プレゼントしたのに?」 「まだしてない。何を買えばいいかわからなかった。何がいいんだろう。チーズケーキ作ってくれたお礼なんだけど」 「チーズケーキ? 俺は食ってないぞ」  瑞輝は笑った。「なんで泰造に食わせないといけないんだよ」 「中指姫のことは、おまえらが中学生の頃から相談に乗ってるだろう。俺に断りもなく進展するんじゃない」 「進展もしてないって」 「してるじゃないか。彼女のお手製ケーキを食っておいて報告もしないとは言語道断。もう何の相談にも乗ってやらないぞ」  大した解答もくれないけどな。瑞輝は息をついた。たまにいいこと言うが、だいたいはどうでもいいことしか言わない。さっきの話だって何だ。晋太郎の言う事を聞くなってアドバイスなんか。 「瑞輝、そういうとき、お返しは何もいらないんだ」  泰造がクッキーをボリボリと食べながら言った。 「彼女に、また食いたいって言ってやるだけでいい。下手にお返しなんてしてみろ。こんなものが欲しくて作ったんじゃないわよ!って怒られるぞ。怖いぞ、女子は。二度と作ってくれなくなるぞ」 「え…ホントかよ」 「じゃぁ試しにやってみろ。ケーキに関係ないものを贈るんだ。服とかアクセサリとかぬいぐるみとか。それでこの前の礼だと言って渡してみろ。ビンタだ、ビンタ」  そう言って泰造は瑞輝を平手打ちする真似をした。 「もう一発殴られたければ、マカロン姫の前で、中指姫のことをのろけまくれ。彼女のどこがいいか語り尽くすんだ。そうしたら彼女はおまえを嫌いになる。最低最悪の男だと認識する。そして来週からは違う男に恋をする。その方が双方にとって幸せかもしれないな」 「嫌われたら、もうお菓子をもらえない」 「おまえは一人の少女を菓子のために縛り付けるのか? 俺はおまえに気がない。菓子がほしいだけだとストレートに言ってやれ。往復ビンタされるかもしれないが、それが彼女へのせめてもの誠意だ」  瑞輝はじっと泰造の言葉について考えた。誠意か。 「女子を都合良く振り回すような、つまらない男に育てた覚えはないぞ」 「泰造は俺を育ててねぇじゃん」 「何だと、恩を忘れやがって。保健体育は全部俺が教えただろうが。娯楽の全ても俺が教えたぞ。そういえば『恐竜ヘルプマン』の続編を借りたんだが見ていくか?」 「え、マジ?」 「恩を感じてるか?」  瑞輝はうなずいた。「感じる。だから見よう」  泰造はニヤリと笑った。「おまえがそこまで言うなら、仕方ないな。ところでめまいは収まったのか?」  瑞輝は少し迷うように目を泳がせたが、最後に小さく首を振った。「揺れてる」 「そうか。不便な感覚を持ったよな、おまえも」  泰造はそう言って、DVDの準備をした。そして瑞輝が『揺れてる』というのなら『揺れてる』んだろうとも思った。晋太郎にも言った方がいいんだろうかと泰造は思った。瑞輝が自分で言うとは思えない。  泰造はDVDを見ながら、楽しそうに見入っている瑞輝の横顔を見た。  十数年前、瑞輝がしきりに『揺れてる』と言って怖がったことがあった。まだ晋太郎の父が存命で、そのじいさんと一緒に神事に行った後だった。それから数日後にその神事を行った近くで大きな地震が起きた。瑞輝は遠く離れた場所で起きたその地震の直前に、ピタリと止まって動かなくなったという。それ以来、瑞輝はたまに『揺れてる』と言って、微弱な異変を知らせる。それが大きな地震につながることもあれば、それで終わることもある。瑞輝に言わせれば、多少の揺れはしょっちゅうあるようだ。瑞輝にとっての小さな揺れは、きっと機械も感知しないような揺れに違いない。だから瑞輝も滅多に『揺れてる』などとは口には出さない。  きっといつもと何かが違うんだろう。だから瑞輝は口に出す。ただそれが平穏なときのものとどう違うのか、瑞輝自身も説明できないのだろうと思う。そういうダメな奴なのだ。晋太郎が「揺れてても言わなくていい」と黙らせたのは、入間のじいさんが死んだ後だ。瑞輝は晋太郎が怖いから、口をつぐむようになっていった。  めまいだ。  最初にそう言ったのは泰造ではない。晋太郎だ。  揺れているのは大地じゃなく、おまえの脳みそだ。  小学生だった瑞輝はそう言われて、コクリと大人しくうなずいていた。それから八年ほど経つわけだ。律儀に瑞輝はそれを守っている。異変を感じても誰にも言えない、共感されない、相談できないというのは不安だろうなと泰造は思う。  いつものように、このまま消えていく揺れだといいなと思った。
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