■ 月曜日 3 ■

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 放課後には雨は止んだ。授業中に終わらなかった数学のプリントをやっていると、中庭で藤崎がまた桜を見上げていた。あいつも暇だなと思っていたら、校長がやってきて何やら話をしている。瑞輝は二人で俺の処分でも話し合ってんじゃないだろうなと思いながら瑞輝は窓の外を眺めた。  タカタカと靴音がして教室の半開きのドアから顔がのぞいた。そして驚いて、それから少し嬉しそうになった。 「忘れ物、しちゃって」  渡瀬チョコは自分の机の方に駆け寄ると、机の横にかけていたいつもの手提げを取った。  瑞輝はプリントに向かった。しかし考えても解けないものは解けない。適当に数字を入れて提出しちまおうかと思った。そうしたら数学教師は怒るだろうが、とりあえず家には帰れる。今日は夜に伊藤氏が来る予定だった。龍清会の会議だとか何とかで呼び出されている。 「大丈夫?」チョコが少し離れたところから瑞輝のプリントを覗いた。「わかる?」  瑞輝は彼女を見た。「わかると思うか? 冗談だろ?」  チョコは瑞輝が怒ったのかと思って一歩下がった。 「俺の代わりにチョチョイとやってくれないかな。俺、これやってたら一生学校から出られねぇよ」  チョコは少し困って、それから笑った。「代わりにやるのはダメだと思う」 「そっか」瑞輝はため息をついた。じゃぁ出鱈目に数を入れておくか。 「ヒントなら出せるけど」チョコは言った。「答えを教えるのはダメだと思うけど、ヒントなら」  瑞輝は顔を上げてうなずいた。「それよろしく」  チョコはそっと少しずつ近づいて来て、瑞輝の机の前に立った。 「じゃぁ…」チョコは指を置いた。  瑞輝は彼女の解説を受けて、何とかいくつかの問題を解いた。チョコは瑞輝がどれだけ簡単な問題につまずいてもイライラしたりしなかった。そして丁寧な黒田先生よりも丁寧だった。 「クラブ、あるんじゃないのか」  半分できた時点で瑞輝はチョコに言った。 「今日はないの」 「それはガッカリだな」瑞輝は頭をかきながら言った。「疲れた。どうせ向こうも俺が全部やって持ってくるとは思ってねぇからよ、半分でいいや。教えてくれたお礼にジュースでも奢るよ。食堂行こう」 「え」チョコはさっさと片付け出した瑞輝を見て目を丸くした。プリントは半分に折られ、机の上に置いたままだ。 「お礼なんて」チョコは手を振った。  瑞輝は泰造に言われた事を思い出して、少し考えた。 「あ、そっか。お礼はいらないんだ。えっと…また教えてくれ」  チョコは微笑んだ。「いいよ」  瑞輝もうなずいた。そして片付けを済ます。  チョコはそれを見ながら、揺れる前髪も、ちょっと骨張った指も、低い声も、筋肉質な腕も愛しいと思った。京香が言うように、他にも格好いい男子はいっぱいいるのに、なんで一人に惹かれるんだろう。どうしてこの人じゃないといけないんだろう。苦しくて涙が出そうになる。 「幼なじみの人…」チョコはうつむいたまま言った。「お礼、喜んでくれた?」  瑞輝は彼女を見た。 「まだ、何も渡してない。っていうか、むしろ渡すなって言われた」 「渡すな?」チョコは軽く顔を上げた。 「ダメだ。渡瀬さんにこの話はするなとも言われてる」  チョコは笑った。「誰に?」 「誰って。いいだろ。とにかく…この話は終わりだ」  瑞輝はリュックを背負い、プリントを掴むと、椅子を机に入れてチョコを見た。 「マカロンとかクッキーとか、ありがと。あとプリントも」 「ううん。私のせいで、みんなに誤解されたりとかしたから、悪いなって思ってたの」  瑞輝は小さく首を振った。 「別に渡瀬さんのせいじゃない」  チョコはうなずいた。そうか、私のせいにもしてくれないんだ。そう思ってしまう。私のせいにしてくれたら、少しは彼の記憶に残るのに。彼の心に少しでも長く存在していたい。  二人は教室を出て廊下を歩いた。 「俺は職員室に行くから」  チョコはうなずいて彼と別れた。  結果はわかってるけど、好きですって言えたら。チョコはぐっと胸を押さえた。そうしたら次へ行ける気がするのに。
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