■ 月曜日 3 ■

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 伊藤は伊吹山の黒岩神社の手前で入間家に電話をかけた。 「お宅の坊ちゃんをお連れしました。少々問題がありまして意識がないんですけどね」  すると見上げた義兄は「そうですか」と言って迎えに来た。仕方がないから伊藤も手伝わないわけにはいかず、一緒に黄龍君を運んだというわけだ。もう夜中といってもいい時間に。  すると黄龍君の御母堂がうまい茶を煎れてくれた。彼女が生けたのであろう桔梗が玄関に飾ってあった。  伊藤は二人に瑞輝が意識を失った顛末を語った。とはいえ、簡単だ。 「スポーツセンターの那維之神のところに行きたいというので連れて行ったら、雷が落ちて倒れちゃったんですよ」  普通なら死んでますよねと伊藤は言いそうになったが、年配の女性の前なのでそれは控えた。  瑞輝は自室の和室に寝かされた。 「雷っていうか、逆ですかね。地面から光が放たれて天に到達したような感じです」  伊藤は記憶を修正するように言い直した。そうだ。あれは下から上へと光が走ったのだ。 「たまにありますからね」晋太郎は平然としていた。政子も落ち着いている。目に見えて苦しんでいるのでもなく、血を流しているのでもないので、眠っているようにしか見えない。これが三日も起きなければ心配だろうが、このところ精神的にも忙しかった彼が疲れて倒れたと聞いても何の不思議もないのだろう。 「しばらく待ってみたんですよ、彼が神様と話がしたいって言うから。でも三十分待っても帰って来ないので、こちらに連れてきました」 「ありがとうございます」政子が頭を下げた。伊藤も下げ返す。 「揺れてるって言ってましたよ」伊藤は二人に告げた。晋太郎と政子は顔を見合わせる。「家で言うと怒られるっておっしゃってました」 「怒るわけではありません。闇雲に周りに言うのを控えるようには言いました。瑞輝は震度ゼロでも震度三でも同じように『揺れている』と言います。本人は違いを感じているでしょうが、周りは不安になるだけです。うまく表現できないのなら言わない方がいいとは教えました」  晋太郎は正座したまま伊藤を真っ直ぐに見て言った。伊藤はうなずいたが、肩が凝るような気がした。黄龍君もこれじゃ疲れるだろうといつも思う。超いい加減な黄龍君に対して、このお兄さんは真っ直ぐすぎる。黄龍君が生きている世界は、ストレートに真面目に生きれば良いという世界でもないというのに。 「確かに彼は言葉が足りないですね」伊藤は認めた。でも黄龍君だって頑張ってるんだよ、と擁護しそうな自分に驚く。黄龍君とは単に仕事でのつきあいだっていうのに。もっとビジネスライクに付き合いたいのにさ。 「瑞輝は完全覚醒したと思いますか?」  晋太郎が言って、伊藤は顔を上げた。晋太郎はいつもの通り真剣な表情をしている。 「したと思いますよ」伊藤は事も無げに言った。「瑞輝君、これまでにないぐらい、今はいろんなエネルギーを消耗してると思います。体力も精神力も。彼は器が大きい分、大きな力を得る事ができますが、今は入れられるだけ詰め込んで、そのまま全部を放出してる状態です。燃費の悪い家電みたいだ。どうせ黄龍君のエネルギーは周りから得るものなんだから、その時に応じた分だけ取り込んで、それに応じた分だけ放出すればいいのに。そうすれば彼自身の負担も減るだろうし、無駄に消耗しなくて済む。だから山本を送り込んだんです」 「うまくいってますか?」  伊藤は晋太郎に負けじと視線を返した。こっちだってプロだぞ。 「指導は一流です。あとは黄龍君が習得するかどうかで。報告ではゆっくりですが順調だと聞いています。弟さんは意外と真面目ですよ。努力もしてる。弱音も吐きません」  晋太郎はじっと伊藤を見ていたが、ふっと力を抜いて笑った。「ありがとうございます。褒めていただいて」  伊藤はムッと言葉を飲み込んだ。しまった。黄龍君を褒めるなんて。しかし横で静かに聞いていた政子も嬉しそうなので、伊藤はまぁいいかと自分を赦す。 「家族というのは正当な評価ができないものです」晋太郎は静かに言った。「ついつい過大に評価してしまったり、過小に評価してしまったりする。年が離れているせいか、今でもうちでは一番年端のせいか、瑞輝を見ていると年齢よりも幼い気がしてしまいます。また、龍清会で求められているような存在にはなり得てない気がして、寄付を下さる方や、瑞輝に相談される方のことを思うと、もっとしっかりしないとと厳しく当たってしまいます。伊藤さんも瑞輝のことをそう見ているものとばかり思っていましたが、そう言ってこいつの至らない点を理解していただけると、ありがたく思います」  伊藤は眉をひょいと上げた。「僕は黄龍君はそのままでいいと思ってますよ、昔から。彼が世界であり、世界が彼だというのが黄龍信仰です。僕は彼が世界だとは思っていませんが、そういう信仰の条件に立てば、彼はどこからも何からも干渉される筋合いはないわけです。龍清会での僕の役割はそこにあるわけで、彼が彼の思うように生きていくのを少し援助するだけです。別に黄龍君がそれで無茶しようと、無理しようと勝手ですが、それは絶対に彼の純粋な意志であるべきなんです」  晋太郎は平和そうに眠っている瑞輝を見下ろした。 「伊藤さんは龍清会に所属しながら、黄龍信仰とは一線を画しているわけですよね」  伊藤はうなずく。「そうですよ。のめり込んだら、こんな仕事できません」  晋太郎もうなずいた。伊藤氏が瑞輝を信仰対象としていないのは明らかだ。どちらかというと『モノ』として見ている。別に黄龍は瑞輝でなくてもいい。今は瑞輝が適任だからそうしているだけで、もっと他に代替があるのならあっさりと乗り換えるような人だ。だからといってそれを責める筋合いもない。黄龍である前に瑞輝が家族であるという晋太郎とは、瑞輝を見る立場が違うというだけのこと。
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