■ 月曜日 3 ■

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「黄龍君は愛するものが多すぎるんです。全てを守りたい。そう思ってくれないと困るんですけどね。そう思ってくれるから、自然の力も与えられ、そして贄として神事に向かう意欲も出る。僕らはそれを利用してるんです。悪いとは思っていません。何かの犠牲の上に、僕らの幸福というのは存在するんです。いつでもそうです。瑞輝君だって幸せだと思っています。勉強も何もできない自分が誰かのためになるということが、彼をこうして生かしてる」  晋太郎は母が絶句しているのを横目で見て、彼女の震える手をギュッと握った。母は瑞輝を本当に我が子のようにかわいがっている。今の話はショックが大きすぎるかもしれない。 「瑞輝の代わりが出来る人が現れたら、瑞輝は解放されるんですか?」  伊藤はうなずく。「でも瑞輝君がそうすると思います?」  晋太郎は息をついた。伊藤氏の言う通りだ。そうするとは思えない。 「龍気は女系男子に継がれるので、可能性的にあるとしたら、瑞輝君の妹さんが将来産むことになるかもしれない、彼女の息子ですよ。今、妹さんは中学生でしたっけ。もうすぐ子どもは産めますよね。でも以前から言ってるように、龍気を扱うってのは稀な能力で、しかも今言ったように危険でもあります。だから瑞輝君は母親に捨てられたんだし。そんな経緯を知っている妹さんが自分の血をつなぐことに恐怖感を感じないと思いますか? そして瑞輝君がその甥っ子や姪っ子に後はよろしくって言うと思います?」 「少なくとも、父がやったように、対処する方法は教えるでしょうね」 「そうですよ、入間さんは瑞輝君に『生き残る方法』を教えたんです。限りある時間の中で必要最低限を。きっと足りないところもたくさんあるんでしょう。黄龍君が危なっかしいのはそのせいです。指導者がいない。だから瑞輝君は自分の代で終わらせる方法を探っています。入間さんもそうしたかったのかも知れませんが、瑞輝君という力を受け入れる器を見つけて安堵したと思います。この子ならと。瑞輝君にはいい迷惑でしょうけどね」  晋太郎は父と瑞輝の関係を懐かしく思い出した。二人は本当に仲が良かった。同時に父は小さな瑞輝に極端に厳しいところがあり、一方でとても甘いところもあった。瑞輝は叱られてはよく泣いていたが、決して父から離れなかった。 「僕は黄龍君を黄龍だと信じていませんが、感謝も尊敬もしてますよ。その上で、やることはやってもらいます。嫌だとわめけば殴ってでも連れて行くし、怖いと尻込みしたら蹴飛ばします。僕が贄になりたくないからです。嫌な事は誰かにやってもらいたいからです。誰だってそうでしょ? お兄さん、代わりにやるよって言えます?」  伊藤が言って、晋太郎は瑞輝を見た。瑞輝の代わりに? それは無茶だ。瑞輝の代わりなんて誰もできない。 「瑞輝は特別です」晋太郎は答えた。 「特別ですかね」  伊藤が言って、晋太郎は黙った。  数秒の沈黙の後、伊藤はパンと手を打って立ち上がった。 「僕は帰らなくちゃ。明日も講義があるんで」  晋太郎はうなずき、部屋を出て行く伊藤を追った。母がじっと瑞輝に付き添っているのを見て、襖を閉じる。  伊藤は勝手知ったる入間家の玄関へ行き、靴を履いて見送りに来た晋太郎を見た。 「キツいこと言って申し訳ありません」  伊藤はぺこりと頭を下げた。 「いいえ」晋太郎は首を振った。「おっしゃることはわかります。私たちは瑞輝に面倒を押し付けている。自分だけが立派なふりをして、きれいごとを言うなということですよね」  そこまでは言ってないけど。伊藤は苦笑いした。まいったな。黄龍君と違って言葉の裏を読んでくる。賢い人ってのはこれだから嫌だ。ちょっとは黄龍君の苦労もわかってやれと思っただけだ。彼はそれ以上に理解して深読みしている。 「神事に行けというのは、あいつにとっては死ねって意味でもあるということですね」晋太郎がサンダルを履いて玄関を出る。 「確実に死ねという意味ではないですけど、死ぬかもしれないけど行ってくれ、と頼んでいるのと同じです」  伊藤はどこまで見送られるのかなと思いながら、暗い神社の境内を歩いた。小さな低い外灯がひっそりと立っていて、辛うじて足元を白く照らしている。 「明日から瑞輝に頼みにくくなるな」  晋太郎がつぶやいた。伊藤は笑う。 「龍清会からはいつも通りに仕事は来ます」  晋太郎はうなずく。「そうですね、それは仕方ありません」  神社の入口の鳥居で晋太郎は立ち止まると、伊藤を見た。 「瑞輝が起きたら、事情を聞いてみます。何かあればご連絡いたします」  頭を下げる晋太郎に、伊藤も礼をした。  ちょっと歩いてからチラリと見ると、晋太郎がまだ見送っていたので、伊藤は慌てて先を急いだ。
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