■ 火曜日 3 ■

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 入間家は古い平屋だ。廊下を挟んで和室が並ぶ。そのうちの一つが瑞輝の部屋だった。  泰造は襖の前で「瑞輝」と声をかけた。「開けるぞ」  襖を開くと、瑞輝は体を起こすところだった。どうやら畳の上でゴロンとふて寝していたらしい。泰造の手にある盆の皿を見て、瑞輝は追い返す言葉を飲み込んだようだった。泰造は苦笑いした。 「食うだろ?」泰造はそう言って盆を畳に置き、瑞輝の正面に胡座をかいて座った。「さっきは悪かったよ」  瑞輝は目を上げ、それから黙って盆を見た。 「俺も悪かった。泰造が言ってることは間違ってない」瑞輝はそう言って息をついた。「じいちゃんにもよく怒られた。本当のことを言われて腹を立てるのは間違いだって。親のことも。俺ができないことは滅茶苦茶あるんだしな。それでムカついてたら、しょうがねぇ」  瑞輝は添えられていたデザートフォークには手をつけず、手でバームクーヘンを取るとぱくりと一口食べた。食べこぼしが畳に少し落ちる。  泰造は黙って瑞輝を見た。指でちょんちょんとこぼれた菓子クズを皿に戻している。 「俺は変えられねぇんだよ。わかるだけで。それをみんな誤解してる。いろんな事故や災害や犯罪を、俺は何も変えられないのに変えろって言う。原因がわかって、それが取り除けるものならやってるよ。でもだいたいは原因がすごくわかりにくいか、わかってもどうしようもないことがほとんどなんだ。今だって揺れてるのはわかるけど、この震源がどこだとか、どれぐらい大きくなるとか、どこにどんな被害が出るとか、わかんね」 「そう言うな」泰造は腕組みをして天井を見た。「今回は何とか手が打てそうなんだろ」 「効果あるかどうかわかんねぇけどな」 「何だ、ネガティブだな。元気出せ。俺もついてってやるから」 「無理しなくていいよ。揺れてるってだけで、いつ何が起こるかもわからないような予報聞かされても困るよな」瑞輝は自分で笑った。「それより家族で仲良く飯食ってる方が、そりゃ何倍もいい」  泰造は腕組みをしたまま、視線を瑞輝に戻した。 「おまえ、葛葉に行くのか?」泰造は少し不安げに聞いた。葛葉は瑞輝の本来の家族が住んでいる町の名だ。  瑞輝は驚いたように泰造を見上げた。「晋太郎が言ってた?」 「父親に誘われてるってだけは聞いた。だけど俺は反対だ。おまえはここに居るべきだ」  瑞輝は黙っていた。 「なぁ、ここに居ろよ。晋太郎とだけ碁を打ってると飽きるんだよ。おまえみたいに破天荒な攻め方する奴がいないとさ。それにほら、うちの看護師だって千佳ちゃんだって、結局おまえに食わせるために菓子を持って来てるんだし、余っちゃうだろ。花梨だっておまえに懐いてんだし」  泰造は続けて一気に言った。そして一呼吸置く。 「俺が嫌いなんだろ」瑞輝が苦笑いしながら言う。 「そうだ」泰造はうなずいた。「おまえなんて大嫌いだ。だから葛葉に行きたがっても断固阻止してやる」 「ふうん」と笑うと、瑞輝はプリンを取ってスプーンで掬って食べた。「俺は泰造のことは信用してる。ちゃんと本当のことを言ってくれるからな。キツいこともあるけど、後から考えたら…」 「黙れ、ガキ」泰造はイライラして立ち上がった。  驚いた瑞輝が顔を上げる。プリンがスプーンからつるりと落ちて器に戻った。 「ここに残れ。絶対だ」  泰造はそう言い残すと、瑞輝の部屋を出た。  俺はおまえが嫌いだって言っただろうが。大嫌いなんだよ。碁はどんどん強くなるし、菓子は何でも食い尽くすし、花梨はおまえが大好きだし。だから勝ち逃げなんて許さない。花梨にいつか「瑞輝オジさん嫌い」って言わせてやる。だからそれまでここにいろ。絶対だ。
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