■ 日曜日 ■

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 それを察して老人は足を止めた。そしてイチョウの木を見る。瑞輝は自分が見られているのではないので、黙っていた。 「龍憑きの坊主か」老人は白濁した目を空中に向けて言った。  瑞輝は相手を知っているが、話をしたことはなかったので少し戸惑った。相手がどっち側か、ってのは瑞輝にとってはかなり大事な問題だ。つまり龍憑きを嫌ってる方か、それともそういうのは迷信だって笑ってる方か。あるいはどっちにも転ぶ日和見主義者か。わからない場合は、嫌われてると仮定して話を進めた方が無難だ。 「邪魔ですか」瑞輝は立ち上がった。イチョウの鑑賞に目障りだと言われたのかと思った。 「何の邪魔だ?」老人は不機嫌そうに言った。「今年もイチョウは葉をつけとるか」  瑞輝はイチョウを見上げた。そして老人を見た。 「つけてる。見えない?」 「年を取ると、あちこち故障するもんだ」老人は見えない目をイチョウの梢に向けた。 「いいんじゃねぇ? 龍憑きの坊主の顔見ることもねぇし」 「そうだな、耳が悪くなれば、いらぬ噂を耳にすることも減る」  ふんと瑞輝は黙って落ちていた緑の銀杏の葉を取った。そして杖に重ねた老人の手に若葉を乗せる。 「まだ緑だけどよ、立派な葉っぱがついてるよ」  老人は葉を手に取り、指の感覚でその形やひだを確かめた。鼻に持っていって匂いも嗅ぐ。若い緑の香りがした。 「龍憑きの坊主の髪は、秋のイチョウみたいだって婆さんが言ってたが、本当か?」老人はイチョウの葉を持っていた袋にしまいながら言った。病院帰りなのか、手に持っているビニール袋には太った薬袋が見えた。 「見たことないのかよ。何回もすれ違ってるだろ」 「視力を失って、もう四半世紀経つのでな」 「シハンセイキ…って何年だっけ」 「二十五年ほど」 「すげぇ」瑞輝は眉を上げた。俺が生きてきた時間の全てを暗闇で生きているなんて。びっくりだ。「イチョウみたいな時もあるかもしれねぇな。光の加減によっては。でもだいたい琥珀みたいだって言う方が合ってるみたいだよ。茶色いとこと、黄色っぽいとこが混じってるから」  ほほうと老人は想像しているようだった。 「一度見てみたかったものだ」  老人は言ったが、瑞輝はそれに対して何と言えばいいかわからなかった。 「もう治んないもんなのか?」 「目か?」老人は意外そうに聞いた。 「まぁ他に悪いとこもあるんだろうけど、そういうの全部」 「坊主はいくつだ?」  瑞輝は首をひねった。「十七」 「十七にしては、世間を知らなそうだな。黒岩神社に閉じ込められとったのか。こういう白い杖をついてる人間は目が悪いというのも教わってないようだ。年を取った人間に、全部治らないのかとは、何かの冗談か?」  瑞輝は黙りこんだ。このジイさんは、一見龍憑きを気にしてなさそうで、実は嫌ってるみたいだ。話をここらで切り上げて、立ち去った方が良さそうだ。 「スミマセンでした」  瑞輝は見えないのはわかっていたが、頭を下げて逃げるように公園を出た。  まだ日は高く、今日は神事の予定も入っておらず暇だった。こんなとき、山内センパイがいたらなぁと瑞輝は都合良く思ってみたりするのだった。
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