■ 秋分 ■

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 瑞輝はポケットの石を手の中でコロコロと転がしながら那維之神の社前に立った。地面には前日からの雨で水たまりができている。空を見上げると、重そうな灰色の雲が垂れ込めていた。ビシビシと雨が地面を打つ音がうるさいほどだ。きっと大雨警報ぐらいは出てる。  手の中の石を、じっと見た。  社に戻しても意味がないよな、と考える。だってここは元の場所じゃない。そして棟梁が数日中には取り壊して社を造り直す。そうするとここに入れてる石も一旦取り出すわけだ。もしかしたらゴミだと思ってポイと捨てちゃうかもしれない。  元の場所は向こうだ。瑞輝は中央の石畳の方を見た。  ゆっくり歩く。芝生の地面が水を含んで沈む。体がそのまま沈んで行く気がして、瑞輝は小さく頭を振った。これは錯覚だ。俺の幻覚だ。  瑞輝は石畳の手前に立ち、そのいびつな石を見て小さく笑った。まるでパズルの欠けたピースみたいに、石の中心に小さな穴が空いていた。数週間前、瑞輝がアイスの棒で亀裂を入れた場所だ。  その場に屈み、穴に手持ちの石を回転させてはめ込む。  カチリ。と音でも立てそうなほどピッタリと石はハマった。音はしなかった。  音はしなかったが、地面が揺れた。瑞輝はでっかいめまいが来たと思った。  右足ががくりと下がって尻餅をつきそうになった。背中から転がりそうになって手をつこうとしたが、そこに地面がなかった。瑞輝は後ろ向きに底なしの中空に落ちて行った。  瑞輝は大地震が来たと思った。  だって地面が割れたから。地面が割れるって相当のことだ。普通は割れない。そんでもってそういうところに落ちたら死ぬんじゃないのか。もしかしたら俺は死んでんのかもしれねぇ。ぐるんぐるんと洗濯機に入れられているみたいに回転してるし、だから息がメチャクチャ苦しいし、体があちこち当たるし。水ン中だし。  ゴロゴロ転がって止まったと思ったら、真っ暗な空間にいた。足元はザァザァと川みたいに水が流れている。立っているのが精一杯で、もうちょっと水位が上がったらきっと流されると思う。  また地面が揺れる。瑞輝はどこか支えになるところがないかと腕を伸ばした。しかし何も掴むものがなくて再び足元が割れて落下する。体を反転させて下を見たが、真っ暗で何も見えない。死ぬ。きっとこのまま落ちたら死ぬ。  泰造、これは幻覚じゃないし、幻聴でもめまいでもない。俺にとってはいつでも現実なんだ。ちゃんと怪我をするし痛みもある。骨も砕ける。血も出る。俺は本当にどこかから落ちてる。例えこれが幻覚や夢でも、目が覚めたら俺はきっと瀕死の重体だ。  しょうがねぇ。  瑞輝は右手を伸ばした。  那維之神は位置をずらされたことを不服に思ってたんだろう。自然な流れが阻害された結果、無理がたたって亀裂が入ったとでもいうか。元に戻ろうとするバネの力みたいなもんだ。完全に元に戻る必要はない。ある程度戻れば、揺り戻しは収まる。  右手の手のひらから金色の煙のような龍が沸き立つ。  元に戻ろうとする力が那維之神と例えるなら、まぁまぁとなだめるのが龍の力といってもいい。こっちの力をやるから、余ったそのパワーを影響が大きくならないように拡散しないか。自分が戻れないからって、地面を戻そうとするのは理解できるが、無茶だ。余計なズレが生じてしまう。それが災害の種だ。必要な部分だけのズレで許してやってくれ。それがうまくできないなら、力を貸すから。  瑞輝は空に向かって龍が飛び立つのを見た。地面を震えさせていたエネルギーも一緒に引き連れて空へ散る。  頼むから地面を揺らすのはもうやめてくれ。  きっと流れを元に戻すから。怒りを鎮めてくれ。  黄金の龍が空に消え、その後を追うように瑞輝の腕から血が吹き出す。  天井に黒岩神社が見えた。落ちていると思い込んでいたが、地面が空に見える。町が空に見える。ということは俺は落ちていたんじゃなく、浮き上がっていたのか。混乱して瑞輝はわからなくなる。  神社の奥から煙が立ち上っている。あれは昨日夢に見た晋太郎が押しつぶされた場所じゃないのか。晋太郎が「逃げろ」と言うのが聞こえる。嫌だ。日丘の町がぶっ壊れている。燃えている。伊吹山が土砂崩れを起こし、日丘を飲み込もうとしている。海が町の南半分を飲み込もうとしている。  中心部は炎を上げて燃えている。北は日丘北高、東はオオグス、南は人形の落ちていた池、西は喫茶ポルカの辺り。中心はスポーツセンターで、そのそばの地下には下水道管が通っている。逃げ道がなくて炎は全て焼き尽くし続ける。  風が迷っている。瑞輝は上から見て初めて気づいた。四つの護符がなくなったりズレたりしてしまったんだ。それぞれに少しずつ。だから流れなかった。滞って悪いものが溜まってた。あるいはわずかながらの必要なものをキャッチしようとして網を張った。問題はそこになくて、俺に全体を見て気づけって言ってたんだな。  突然、風が止まる。瑞輝は今度こそ落下していく。おまえに見せたいものはもうないと天が言っているようだった。おい、それは薄情だろ? 瑞輝は右手に龍を呼び戻そうとするが、龍は大空を自由に飛び回り、戻ってくる気配はない。そうか、戻る気がないか。  じゃぁ俺はきっと地面に体を打ち付け、粉々になって死ぬんだな。  嫌だ。最高に嫌だ。  ただ、どうしようもない。  濃灰色の煙に包まれながら、瑞輝は地面がどんどん近づくのを感じた。  チーズケーキの次のページはバナナシフォンケーキだったなと瑞輝は『はじめてさんの簡単ケーキ作り』の本を思い出していた。ガトーショコラはもうちょっと先だった。ユアに言うべきだったかもしれない。次はシフォンケーキが食いたいって。マカロンみたいに手が込んでるヤツじゃなくていい。実際俺は何でもいいんだ。そこいらで買って来たミルククッキーをユアが分けてくれるだけでも幸せだ。隣でユアが笑ってたら、そんでもう最高だ。  下に那維之神の社が見えた。  あそこに突っ込むのか、俺。  瑞輝は思わず両手で顔を覆った。数秒後には耳をつんざくような音がして、体の表面が全て切り裂かれるような勢いで木造の社に突っ込んだ。そして下の石の土台に体を打ち付ける。  粉砕したはずだ。そう思った。
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