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「ほらな白い猫がいるんだよ」当時中学生だった瑞輝が言うと、晋太郎のヨメの純はじっとイチョウの木の根元を見つめて「虎でしょ」と言った。  純は瑞輝にとって、一番最近であった理解者だった。もちろん一番の理解者は入間のじいちゃんだ。その次は、実際には感受する物が違うようだが、晋太郎とも時々は話が合う。ばあちゃんは「私は見えないけど」と言いながら信じてくれる。金剛寺や町の何人かもそうだ。ユアもそれに近い。実際に『何か』を感受してくれるのは、じいちゃん亡き後は、晋太郎しかいなかった。龍清会の伊藤氏だって他の人だって、瑞輝が感じているものを知っているわけではない。晋太郎はそれが何かはわからないが、そこに何かがあることだけは感じると言った。それでも瑞輝にとっては小さな足がかりだった。自分だけが脳みそで勝手に作り出しているのではないと実感できるからだ。自分だけがそう感じる、というのは孤独だった。それに自信も薄れて行く。それは自分が創作したものでないと言いきれなくなっていく。晋太郎が感じるのはそれに対する救いだった。  純が現れたとき、瑞輝はもっと嬉しかった。彼女は晋太郎よりも具体的に見えるようだったからだ。ただ、瑞輝とは見え方が違った。それでもとてつもなく嬉しかった。瑞輝はそれであちこち案内した。ここ、ほら何とかが見えるだろ、と。すると純は「そうねぇ、でも私には別のものに見えるけど」と微笑んだ。 「虎かよ、これが」  瑞輝は子猫みたいな小さな白い動物をじっと見た。 「瑞輝君には小さな猫みたいに見えるのね。それは瑞輝君の龍気が大きすぎるからかもね」  純はそう言っていた。  瑞輝は何でも良かった。こうして話ができること自体が嬉しかった。純はそれによく付き合ってくれた。 「嘘つきだって昔からよく言われてたんだよ」瑞輝は嬉しさついでに言った。「風が見えるなんて証明してみろとかさ。できねぇから泣き寝入りってヤツ。腹も立つけどしょうがねぇし。俺も俺の目とか耳とかもしかしたら脳みそが悪いんじゃねぇかって思うこともあったな」 「そうね、ひとりぼっちだと不安になるよね」純はうなずいた。 「そうなんだよ。しかも俺は治せたりしないわけじゃん。八隅さんは治療できるからさ、何か不思議なとこがあってもオッケーだけどよ、俺なんか気味が悪ぃ龍憑きで終わりだよ。何かできたらな、俺も。そしたら気味が悪いとかじゃなくて、ありがたがられたのにな」  瑞輝は純を旧姓の『ヤスミさん』と呼ぶ。結婚してからもそう呼ぶことがある。 「瑞輝君は私とはタイプが違うんだよ。しかたないね」  瑞輝はムスッとして純を見た。 「君は十分みんなのために生きてるよ。目に見えなくても、わかる人にはわかる」純は瑞輝の肩を軽く叩いた。 「わかる人って、誰? 数えるほどしかいないだろ」 「世界中の人に褒められたいの? じゃぁこんなところで自分はダメだって腐ってないで、もっと動かなきゃ。誰だって楽に生きてるわけじゃないのよ。私だって簡単にヒーラーになったと思ってるの?」  瑞輝は自尊心を汚されたように純を睨んだ。 「俺だって頑張ってるよ。何もしてねぇみたいな言い方すんなよ」 「わかってるよ、君が頑張ってるのは」純は微笑んだ。「横で見てると、休んでって言いたいぐらいに頑張ってるのはわかってる。だから自分でもそう思って欲しかったの。自分はよくやってる、これが自分だし、その自分が好きって自信を持って欲しいの。変わってるかもしれないけど、それがどうだっていうの? 感じ方なんて変えられないんだから、そのままみんなと違う道を、みんなの横で歩いて行くしかないじゃない。そんな瑞輝君と一緒に行こうって人もきっとたくさんいると思うよ」  瑞輝は睨んだことを恥じるようにうつむいた。純の言葉はくすぐったかった。どう表現したらいいかわからなくて、瑞輝は胸の奥がぐっと熱くなるのを感じた。 「城壁の中にいると、壁の外が見えないものなの。壁が外側からどれだけ攻められてるか想像もつかない。城壁の中の人は瑞輝君がいなくなったら、きっとそれを実感すると思うけど、それを実感させたいと思う?」  瑞輝は黙って首を振った。  純は横にたたずみ、じっと黙っていた。  あのときはあんなに小さい猫に見えたんだけどな。瑞輝は雲みたいに大きな虎を見て思った。
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