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泰造は神妙な顔の晋太郎を見て笑い転げそうになるのを必死で堪えた。
「これはきっと那維之神の祟りがあるでしょうね」
晋太郎が言うと、町長は顔を真っ青にした。
「うちの記録では、江戸時代に那維之神の祟りがあったときには、震度六の地震が来て町の半数が死んだとあります。今では人口も多いですし、震度が四程度でも、それなりの被害が出るでしょう。緊急に町内に呼びかけを行うべきだと思います」
「そうですか」町長は青い顔のまま言った。「早急に緊急放送をかけます」
泰造は胸の中でガッツポーズをした。
晋太郎はそんな泰造をチラリと見て、済ました顔で正面を見ていた。
台風は午後を過ぎると、雨ではなく風がメインとなりつつあった。全体的にはピークは過ぎたのだなと気象の専門家ではない桜木にもわかった。
音の悪い町内放送が流れ、台風ではなく地震に備えよという警告を流していた。
桜木は那維之神がどうのという放送を聞きながら、寝入っている瑞輝を見た。今までに見たことがないぐらい衰弱した瑞輝を見ていると、どうしたものかと不安になって入間家に連絡してみたが、ヒーラーの純が「温めて寝かせておくのが一番いいと思います」と言うのでそうしている。濡れた服を脱がせ、温かいタオルで体を拭い、今は毛布をかけている。ぐーすか寝ているからうまくいくと思うが自信はない。
ドタバタと孫たちが走って来て襖を開いた。
「瑞輝が来てるの?」
「遊んで~」
桜木は「こら」と孫たちを一喝した。「具合が悪くて寝てるんだ。静かにしなさい」
孫たちは怒られて神妙な顔をした。
「具合、悪いの?」
いつも遊んでくれる瑞輝が来るのを孫たちは心待ちにしている。瑞輝がいると聞いて喜んだのも無理はない。
心配顔で小学生と保育園児の二人は瑞輝を覗き込んだ。
「手が冷たいだろ。顔も冷たい」桜木は瑞輝の頬に軽く触れた。
二人の小さな手がそれぞれ瑞輝の指先を握り、頬を触る。
「ホントだ、冷たい」一年生の翔太が両頬を包み込むようにした。
「死んでるの?」幼い裕太が聞く。
「生きてるよ!」翔太が弟に怒って言った。桜木は苦笑いした。
瑞輝が首を動かし、頬を触っていた翔太は手を離した。
「生き返った!」裕太が言う。
「死んでないって!」翔太がまた怒鳴って、瑞輝のまぶたがぴくりと動いた。
「静かに」桜木は二人に口の前で指を立ててみせた。「元気になったら呼んでやるから、今は向こうに行ってなさい」
翔太は強くうなずいた。「わかった」
それに釣られて裕太も立ち上がる。兄ちゃんの言うことは素直に聞く弟だ。
二人が襖を閉め終わる前に、瑞輝はまぶたを開いた。桜木も立とうかとしていたときだったので、腰を浮かしかけてまた戻した。
瑞輝はぼんやりと天井を見つめ、それから腕をもぞもぞと動かした。再び目を閉じ、眉間にしわを寄せて体を起こそうとする。
「無理するな」桜木は声をかけたが、瑞輝はグイと一気に腕に力を入れて肘で体を支えた。そしてそのまま上体を起こす。瑞輝は両手で頭を抱えた。
「大丈夫か?」
桜木は瑞輝の背中を押さえた。
しばらくすると瑞輝は手を離して前を向いた。
「あれ…なんで先生んちにいるわけ?」
「警察の人に運ばれて来たんだよ」桜木は怪訝そうな瑞輝を見て笑った。大丈夫そうだ。
「なんだ…見つかったのか。…今、何日?」
「二十三日」桜木はどこか痛むのか辛そうに話す瑞輝を見た。「痛いのか?」
瑞輝はしばらく考えた。どこか痛いのかな、俺。体中を確認する。そして首を振った。「痛くない」
「じゃぁいいが」桜木は瑞輝の手を触ってみた。さっきよりは温かみが増しているが、平熱よりはかなり低そうだ。「寒いんだろう」桜木は瑞輝の肩に、脇に置いてあったブランケットをかけた。
そうなのか、俺は寒いのか。瑞輝はうなずいた。そうかもしれない。
「地震、あった?」
「うん?」桜木は聞き返した。「何の自信だ? あ、揺れる地震のことか?」
「そう、揺れる方」瑞輝は大きく息をついた。しゃべると呼吸が苦しい。
「ない。そう言えばさっき町内放送で地震に注意しろとか言っていたな。もしかしておまえ、那維之神の予言でも聞いたのか?」
「チョーナイホーソー…」瑞輝は考えた。うまく文字が思い浮かばない。チョーナイホー…。チョーナイ…。もういいや。まだ地震が来てないってことは、まだ亀のところに行くチャンスがあるってことだよな。
「ちょっと俺、行くところがあるんだよ」
「どこへ行く?」
やっぱりな。瑞輝はそう来るだろうなと思った。
「亀んとこにな」
「亀?」
「そうだよ、亀だよ。玄武岩ってあるじゃん」
「玄武岩な。今から?」
「そう。わかんねぇけど、それで地震が止まるかもしれねぇんだよ」
「それは荒唐無稽な話だな。それを信じろと?」桜木は笑った。
「別に信じなくてもいいよ」瑞輝はムスッとして言った。
「信じるって」桜木は笑って瑞輝をなだめた。「玄武岩に行く必要があるんだな、少なくともおまえの理論では」
瑞輝はうなずいた。
「その青い顔でだな? ガタガタしてるその体で行くんだな? この台風の中を」
「台風、まだ近くにいるのか」
「昼に通り過ぎるって言ってたから、たぶん夜には収まる」
「それまで待てねぇよ」
「だろうな。実は晋太郎君から話は聞いてるんだ」
瑞輝は桜木を睨んだ。「てめぇ、ぶん殴るぞ」
「口を塞がれたいのか?」桜木は怒らずに瑞輝をじっと見た。「一緒に行ってやる。その前にやることがある。飯を食え。食わないと元気が出ん。朝飯も食わずに出たらしいじゃないか。倒れるのも致し方ない」
飯か。瑞輝は脳みそにその言葉が染み入るのを感じた。意識すると急激に腹が減って来た。喉も乾く。
「わかった」
瑞輝が言うと、桜木は嬉しそうにうなずいた。
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