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 理沙子の作ったおにぎりを三つ食べたあと、瑞輝は桜木の息子の服を借りた。その姿を見て桜木が笑ったので、瑞輝はムスッとした。 「タッパが足りねぇんであって、足が短いんじゃねぇからな。だいたいウエストなんかガバガバなんだからよ」  瑞輝はベルトをグイグイと締めて言った。 「そうだな」桜木は上からナイロンジャケットを着せた。「もうほとんど雨は降ってないが、風がキツい。気をつけろよ」 「気をつけるってどういうふうに?」瑞輝は不思議そうに聞く。  桜木は肩をすくめた。「怪我をしないようにって言ってるんだよ」 「そんなもん、いつだってそう思ってるよ」  瑞輝が言って、桜木は息をついた。困った奴だ。  そして二人で外に出た。風が強く、瑞輝は斜めになりながら歩いた。雨が止んだことで、子どもたちが外に何人か見えた。溢れた用水路の水を掃き出そうとほうきを持って世間話をしている婦人たちがいる。八百屋の軽トラがジャーッと水を跳ねて通り過ぎて行く。小型パトカーが「皆さん、まだ暴風警報は継続しています」と放送しながら走って行った。  瑞輝は「ちょっと」と向かいの公園へ行き、イチョウの根元を見た。白い痩せた猫が座っていて瑞輝を見上げる。ペロリと舌を出して髭を舐めると、口を大きく開いてあくびをした。  瑞輝はその横にキャラメルの包みを一つ置いた。やっぱり猫じゃねぇか、と思う。そして桜木が待つ道へ戻った。  分厚かった雲が薄くなりはじめていた。 「玄武岩ってのはあの辺の岩地の総称で、一つの岩の名前じゃないぞ」  桜木は岩地に向かいながら言った。日丘北高校の裏のならだかな坂を降りると、その玄武岩と呼ばれる岩地に当たる。もちろん丘を登って降りる必要はなく、金剛寺の裏から平坦な道で迂回することもできるし、反対に東回りに大楠前を通って行くこともできる。  桜木と瑞輝は西回りの道を車で行けるところまで行った後、丘の林を北上していた。普段なら十分ほどだが、風と細かい雨が打ち付ける中ではもっと時間がかかりそうだった。 「瑞輝、もし仮に地震が起きてもおまえには責任はないぞ」  桜木は瑞輝に合わせてゆっくり歩きながら言った。瑞輝はチラリと桜木を見た。 「そんなこと俺も思ってない。俺はできることをしてるだけで」 「もし那維之神がおまえの命をくれと言ったら捧げるのか?」 「そうだな」瑞輝は少し考えた。「とりあえず決闘だな。勝つかどうかが五分なら決闘する」 「負けそうなら?」桜木は苦笑いを殺しながら言った。 「勝負しねぇ。土下座して許してくれって泣く」 「嘘つけ」桜木は笑った。まったく信じられん。 「泣いても許してくれなかったら斬りに行くけどな」 「だろうな」桜木はうなずいた。  瑞輝は少し下を向きながら、いつもよりは少し重い足取りで歩く。  桜木は瑞輝に合わせて歩幅を縮めた。 「他の三つはもう行ったのか」ゆっくり歩いているのを気取られないように桜木は声をかけた。それに声をかけると瑞輝も気が散っていいようだ。この雨と風の中で黙っていると、彼はその空気の中に溶け込んでいきそうな気がする。 「行った。龍と鳥と虎だろ。すんげぇ血を抜かれるんだよな。ヤバい」 「血?」桜木は瑞輝を見た。「だからそんな青い顔してたのか」 「わかんねぇけど」瑞輝は自分の顔を触った。青いってどういう感じだろう。 「玄武岩にも血を取られるのか?」 「かもな。俺が死んだら龍清会の伊藤さんに言っておいて。未完成でしたって。黄龍が完成してたら死なないらしいよ。死なないって変だよな。とにかく死んだら後は頼むよ」 「ちょっと待て。そんな危険なことだとは聞いてない」桜木は足を止めた。瑞輝が構わず行こうとするので、腕を引いて止める。「待て。晋太郎君は知ってるのか?」 「何が? 俺が死ぬかもってこと?」 「そうだ」 「そりゃ知ってるだろうよ。先生だって知ってるだろ?」瑞輝は首をかしげる。 「何を」桜木は真面目に聞き返した。額にしわが寄る。それを見て瑞輝が小さく笑うのがわかった。 「いつだってヤバいってこと。俺がヘタしたら終わりって知ってるだろ? あれ?」瑞輝は桜木の表情を見て口をつぐんだ。「何だよ、俺が怖い、怖いって言ってんの、冗談だと思ってんのか? マジで怖いんだよ、あれは」  桜木は黙って瑞輝を見た。「いつだって?」 「そうだよ、いつも似たようなもん。今日が特別ってわけじゃない。四個連続ってのは辛いけど、前にもそれぐらいはやったことあるし、三日とか一週間とか寝込むかもしれねぇし、そりゃ最悪は死んじゃうかもだけど、まぁそれはしょうがねぇよ。城壁も限界が来たら壊れるのは当たり前だしよ」  城壁か。桜木は掴んでいた手を離した。瑞輝は桜木を通り越した空を見る。風が瑞輝の短い髪をなびかせていた。 「知らなかったのか? そんな深刻な顔すんなって。最初っからそうなんだからさ。別にセンセーが知らなくっても、知ってても、何も変わんねぇんだし」  桜木は言い返す言葉がなくて瑞輝を見た。瑞輝はポンと桜木の肩をたたくと、さっきと同じような足取りで歩き出す。決して軽くはない。しかし止まる気配はない。 「放って行くぞ」  瑞輝が言って、桜木は息をついた。のろのろ歩きの瑞輝になど、すぐ追いつける。 「亀に負けるなよ」  追いついた桜木が言うと、瑞輝は横目で桜木を見た。 「俺を誰だと思ってんだ?」  桜木は苦笑いした。黄龍だろ。天を司る金色の龍。亀なんかに負けないはずだ。そうだな。
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