■ 彼岸明 土曜日 4 ■

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「こんにちは。福砂屋のカステラを持って来た」  瑞輝は目を横にやった。カステラの紙袋を確認して、それから左手をついて体を起こした。 「事情聴取?」 「違う」伊瀬谷は笑った。「地震で家が一つ半壊した」  瑞輝は目を伏せた。「誰か怪我した?」 「別に地震は君のせいじゃない。その半壊した家に救助しようと消防団が入ったら、行方不明だった女の子が見つかったんだ。家族はとても喜んでる。君を故意に轢こうとしたことも話してくれた。いずれお詫びに行きたいと」  伊瀬谷は呼吸を置いた。瑞輝がゆっくり目を上げる。 「ふうん」瑞輝はそれだけしか言わなかった。  伊瀬谷は笑った。「池本さんを知っているだろう?」  瑞輝は眉を寄せる。「うるさい鶏を飼ってた、目が悪い人」  伊瀬谷はうなずく。「あの人が言ってた。君は知っていたそうだな。あの子が生きているのを。どうして黙ってた?」  瑞輝は小さく首をかしげた。「信じない」  伊瀬谷はうなずいた。「でも試して欲しかった」 「ちょっと迷った」瑞輝は伊瀬谷を見て言った。その表情は今でも迷っているように険しい。「いろいろ考えて、言えなかった」 「そうか」伊瀬谷はそれ以上は何も言わないことにした。どうやら、この子は知っていることのほとんどを自分の奥底にしまってしまうようだ。今回、本当に迷ってくれたのだとしたら、それだけでもいいとしよう。 「そこで同窓会してんじゃねぇぞ」  瑞輝は自分と関係のない話題で盛り上がっている五人を見て言った。 「うるせぇ、見舞いに来てやってんだろうが」『魚命』の山内章吾が言う。「骨が折れたんだろ。うちのイワシせんべい持って来てやった。カルシウムたっぷりで骨に効くんだってよ」 「私はこれ」と長髪の二宮美里は『妖怪辞典』というタイトルの漫画を見せた。「暇でしょ?」 「俺はほら」目の丸い芦田翼はポータブルゲーム機を見せた。「イナズマオリンピック・ポータブル」  瑞輝はそれぞれの土産を検分し、それから残り二人を見た。 「おまえはないのか、俊哉」  俊哉、と呼ばれた奥にいた物静かな福田少年はチラリと瑞輝を見た。 「おまえには血をやった。血が足りねぇとかで。充分だろうが」 「え、マジ?」瑞輝は目を丸くした。 「貴重な俺の血だ。大事に使え」俊哉はそう言って、読んでいたバスケットボール雑誌に目を戻す。  瑞輝は自分の左手を電灯に透かすように掲げて眺めた。右手は指先まで包帯で巻かれているからだ。 「血管は見えない」  伊瀬谷が言うと、瑞輝は「わかってるよ」と手を下ろした。 「高木さんからは何だと思う?」  翼は嬉しそうに瑞輝のベッドサイドでニコニコ笑った。  瑞輝はユアを見た。ユアはチラリと瑞輝を見たが、すぐに視線を反らした。 「俊哉の血より、ユアからの方が良かった」  瑞輝が言って、少年たちはまた笑った。喫茶ポルカの少女が「バカ瑞輝」と言うのを見て、伊瀬谷は微笑んだ。 「私はではこれで」  伊瀬谷が言うと、バスケットボール雑誌を見ていた俊哉もぱたりと本を閉じた。「俺も帰る」 「俺も仕事に戻らなきゃな」山内章吾が立ち上がる。 「私も月曜日に提出の課題があるから」楽しそうに二宮美里も立ち上がり、芦田翼の腕を引っ張る。 「えーー。久しぶりなのにぃ。瑞輝とイナズマ対決しようと…」 「空気読めよ、おまえ」山内章吾が翼を引きずって病室から出す。  ニコッと二宮美里が微笑んで小走りで彼らについていく。俊哉はバスケットボール雑誌をポイと瑞輝のベッドに置いて出て行く。  伊瀬谷は苦笑いで四人の一番最後から病室を出た。  暇なら飯食って行こうぜと山内少年が提案し、暇じゃないけど仕方ないなぁと他の三人が笑いながら付き合う。  伊瀬谷は少し懐かしいような気分で彼らを見送った。
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