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「パパがね、疑いも晴れたし、またお店に来てって」ユアは財布から喫茶ポルカの割り引きチケットを出した。それを瑞輝の手に押し込む。「裏の小宮さんちも、地震で門が壊れちゃったんだけど、瑞輝が言った方向に新しく作るって。それでまたアドバイスがほしいって言ってたよ」
瑞輝はチケットをじっと見た。コーヒーどれでも百円引き。その下に手書きで「たまにケーキ付き」と書いてある。瑞輝はそれを見て唇を緩めた。ユア父の笑顔が頭に浮かぶ。
「私のこと、心配してくれてたよね」
瑞輝はユアを見た。「心配っていうか、巻き添え食わないようにって思って」
「うん。ごめんね、私、変なことで怒ったみたいなことして。瑞輝が今までも嫌な目に遭ってるの知ってたのに、殺人犯とか言われたらそりゃ嫌がらせもあるよね。全然知らなくて、お店に来ないって怒ったりして」
「あれは」瑞輝は顔を上げた。ユアと目が合い、次の言葉が出なくなる。
「何?」
瑞輝は一度目を伏せ、それから再びユアを見た。「俺が悪い。そう思ってたのなら、なんで行くんだって話だろ? オジさんに二度と来るなって殴られても仕方ねぇって思ってた」
「そんなこと言わないって」ユアは笑った。
「みんなが優しくて助かってる」
「瑞輝がいい奴だから、みんなが優しいんだって」ユアは少し浮かない顔の瑞輝に明るく言った。瑞輝は時々、ふっと寂しい顔を見せる時がある。それを見るとユアは胸がキュッと痛くなる。元気出しなよ、と背中を叩くのは保育所時代からユアの役目だった。高校生になって学校がバラバラになり、瑞輝とは滅多に会わなくなった。たまに友達やお店のお客さんが『黒岩神社の龍憑き』の話をしているとドキッとした。風を見ながらじっとたたずんでいる瑞輝のことをたまに思い出した。
「そんでも、土と水でぐちゃぐちゃになって死ぬかと思ったとき、俺、あんときにケーキ食いに行ってなかったら後悔してたなって思ってた」
瑞輝が言って、ユアは「え?」と笑った。
「うまかったってのも言ったし、もうこれで死ぬんならしょうがねぇって思った」
「バカじゃないの」ユアは呆れて言った。
「また作ってくれって言ってなくて良かったなって」
「え?」
「死んでく奴が生きてる奴に頼み事するのって、重いだろ。そういうことしてなくて良かったって」
「バカ。生きてるじゃない」
「そうだな、予想に反して」瑞輝は笑った。「マジで終わりだと思ったんだけど。息はできねぇし、体はガンガンあちこち当たって痛いっての通り越してたし、寒いし感覚なくなるし」
「胃とか体の中も泥だらけで洗うの大変だったんだって」
「らしいな。何にしろ、もうあんなのは嫌だ」
「そりゃそうでしょ」ユアは痛々しい瑞輝の横顔を見た。それから小さく息を吸った。「また作ってあげる。退院祝いもしたいしね。瑞輝、何のケーキがいい? 頑張ってリクエストに応えるようにするから。あ、そうそう、瑞輝が寝てる間にね、瑞輝の学校の渡瀬さんって人がお見舞いに来て会ったの。ケーキ、教えてくれるって」
瑞輝はユアを見た。
「マカロン、冷蔵庫に入ってるよ」ユアはニコリと笑う。「瑞輝はチョコケーキが好きだよね。何て言うんだったっけ、ピカピカってした、チョコレートのきれいなケーキ…」
「俺、シフォンケーキがいいな」
瑞輝が言って、ユアはちょっと考えた。
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