■ 月曜日 5 ■

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 防具をつけろと言ったのに、瑞輝はそれを拒否した。 「剣を合わせるだけでいいんだ。防具をつけちゃうと、打つ気になっちゃうから」  そう言うなら、と藤崎も防具無しで木刀を持った。 「楽しそうだな」  隣の柔道部から安達がやってきて、腕組みをして二人を見る。 「決闘か?」 「違いますよっ」藤崎が言うと、安達はわかってるってと豪快に笑った。  しかし入部試験だと言うと、安達が怒りそうな気がして藤崎は黙っていた。入間瑞輝を欲しがっているクラブは意外と多い。ただスタンドプレーでチームワークを乱すのではという懸念が強く、まだどこからも誘われてはいないようだ。唯一、柔道部の安達が年中誘いをかけている。  剣道部と柔道部が見守る中、板間の真ん中で瑞輝と藤崎は向かい合った。瑞輝がまだ足や背中の痛みを持っているので、立礼で始まる。瑞輝は左手で木刀を持ち、右手は左手の手首の上に乗せた。指がまだ動かず、しっかりと木刀を握ることができないためだ。  剣先がわずかに交差するところで構える。瑞輝はじっとその木刀の峰を見た。視線を上に上げて行き、交差している場所を通過して剣先へと視線を動かす。そしてそのまま、さらに先の空中を見る。 「どうする?」藤崎は瑞輝を見た。 「先生の動きについていく」  瑞輝がそう答えたので、藤崎は木刀をゆっくりと振り上げた。瑞輝もわずかに遅れて同じように真っ直ぐ振り上げる。そしてゆっくり振り下ろすと、今度は同じタイミングで木刀がさっきの場所で交差し、カツンと小気味良い音を立てた。藤崎はおやと思った。途中から鏡を見ているようにシンクロした気がした。  藤崎が立ち位置を変えたくて半歩下がると、瑞輝は同じだけ進んで間合いを詰めた。反対に間合いを広げたくて下がると、瑞輝は詰めて来ずに自分もわずかに下がった。その絶妙な距離感に藤崎は思わずニヤつく。呼吸が合うのを感じる。自分の動きについてくると瑞輝は言ったが、そうじゃない。呼応している。言葉も合図もなしに、互いの意図が汲み取れる。  藤崎は少し動きのスピードを上げた。瑞輝はまだ怪我人なので、無茶はさせない。彼が動ける最大のスピードを探る。カン、カンと木刀がリズム良く音を鳴らし始める。藤崎は時々、呼吸を整えるために間を取った。瑞輝は表情を変えず淡々とついてくるが、額には汗が浮かんでいた。  もう充分だと藤崎は思った。最後に大きく振りかぶる。  瑞輝はそれを見て、動きを止めた。藤崎が振り下ろすのと、瑞輝が自分の木刀をひねって受けるのとは同時だった。  カツンと二本の木刀が当たってから、カランと瑞輝の木刀が床に落ちて転がった。  瑞輝は少し顔をしかめて左手を振った。 「悪い。大丈夫か?」藤崎は慌てて自分の木刀を置いて瑞輝の腕を見た。  瑞輝は「大丈夫だ」と答えた。パンパンパンと大きな拍手が聞こえ、藤崎が振り向くと安達が大げさに手を叩いていた。それに釣られて生徒もパチパチと手を叩く。 「いいもの見せてもらったな。おまえら、ホントに初合わせか?」  安達が感心しながら言った。 「はいっ」藤崎は瑞輝の木刀も拾い、瑞輝と一緒に脇に戻る。少し興奮でテンションが上がっている。瑞輝を抱きしめたいぐらいだったが、それは辛うじて我慢した。この心地よさを誰かと共有したいと思ったができない。そのもどかしさで感情の行き場がない。 「入間、おまえはすごい」他に言いようがなくて、藤崎はそう言った。「安達先生、見ました? こいつは本当に人の心が読めるみたいだ」 「見たよ。あれが本番一発勝負だってのが信じられん。裏で練習したんじゃないのか」 「してませんよ」 「わかってる」安達は笑った。「こいつならあれぐらい軽いもんだろ」  剣道部の面々は、今や不審者に対する視線ではなく、半ば尊敬のまなざしで瑞輝を見ている。エンジョイ組にも瑞輝の剣さばきの美しさは伝わったようだ。そうだ、あれは型稽古でも入部試験でもなく、美しい芸術に近かった。空気の流れを変え、周辺の音を消し、気温や湿度も消した。あのときは木刀の動きと当たる音、それとわずかな息づかい以上のものは何もなかった。  藤崎は瑞輝もそう感じてくれたものと思ったのだが、彼は自分の左手をじっと見て、それから大きく息をついていた。彼にとってはこの対戦は予想に反していたのだろうかと、藤崎はふと不安になった。 「見学して行ってもいいですか」  瑞輝が言って、藤崎はもちろんうなずいた。「入部の決心はつかなかったか?」 「なんか…わかんなくなった」  瑞輝は剣道場の壁にもたれて座った。  柔道部は安達の促しで畳の方へ戻り、剣道部はいつもの素振りやかかり稽古に戻った。  わかんなくなった、の意味がわからず、藤崎はじっと剣道部を見ている瑞輝を見た。少し急ぎすぎたのかなとも思った。本当に剣を合わせるだけで良かったのかもしれない。藤崎は瑞輝の呼応の良さに感激して、ついもっともっとと要求を出してしまった。瑞輝は当然それに応じたが、心の準備はまだできてなかったのかもしれなかった。さりげなく瑞輝を見ると、彼はいつものように中空を見ていて、どうも剣道部を見ている様子はなかった。  途中の休憩時間に瑞輝は立ち上がって、藤崎に「帰る」と言った。 「おう、またいつでも来い」藤崎はできるだけ明るく答えた。瑞輝はヘラッと笑ったが、来るとも来ないとも言わなかった。
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