■ 月曜日 5 ■

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 瑞輝は武道場を出て、クラブハウスの横を通り、テニスコートの脇から校門へ向かった。通り過ぎる各種のスポーツのユニフォームや揃いのジャージを着た生徒を見て、瑞輝は自分の心が乱れるのを感じた。  藤崎との剣合わせは楽しかった。息が合うと感じた。藤崎が求めるのと、瑞輝がそうしたいと思ったのは同時だったし、この程度でやめようと思うタイミングも同じだった。瑞輝自身、完全に剣道部でやっていけると思った。  ただ、最後でその自信は粉々に散った。藤崎に木刀を斬り落とされたとき、瑞輝は全身が凍り付いたように思えた。神事での失敗が死を意味するのと同じように、木刀が落ちた時に同じような恐怖に襲われた。手が震えるのを隠すために左手が痛んだふりをしたが、本当は全く痛くなかった。心臓の方が痛かったぐらいだ。  無理なんだなと悟った。練習を見ていても、自分が竹刀で打ち込まれると想像すると、それは耐えられないと思った。それがフリでも斬られるのは嫌だ。何が何でも逃れようとしてしまう。神事をやっていなかった頃は、平気だった。組み伏せられても、斬り落とされても、それが死を意味するなんて思ったことがなかった。でももう違う。だから山本と練習していたときも、完全に身動きできないほどに負けたことはない。  竹刀で何度も斬るフリをされるぐらいなら、いっそ殺意を持ってゴルフクラブで殴られた方がマシだ。  そんな奴、変だ。  瑞輝は立ち止まり、息をついた。その変な奴が俺だよ。しょーがねぇと思う。しょうがねぇじゃん、そういう道を歩いて来たんだから。それが俺の道だろ。と、思いながらも半分がモヤモヤとする。だいぶ前に忘れたはずの孤独感が背後から襲って来る。低い雨雲が雷を鳴らしながら近づいて来るみたいに、暗い湿った空気が近づいて来る気がする。やなんだってば、あれはもう。 「気分でも悪いの?」  声をかけられて、瑞輝は前を見た。テニス部のジャージを着た伊瀬谷京香が友人と立っている。 「もし調子が悪いんなら…」  瑞輝は首を振った。「ありがと、大丈夫」そう答えて、歩き出す。  京香はよろよろと瑞輝が歩いて行くのを見送り、それから一旦友人たちと歩き出したが、後ろを振り返って瑞輝がふざけながら走って来た男子生徒とぶつかって転ぶのを見た。ぶつかった男子生徒は金髪の瑞輝を見て顔面蒼白になったが、瑞輝が「大丈夫」と立ち上がったので、ホッとしたようだった。  京香はため息をつき、友人に先に行ってもらい、瑞輝の方へ戻った。 「本当に大丈夫なの? お父さんが入間君のこと、すごい心配してるんだけど。本当だったら一ヶ月ぐらい学校を休んでもいいぐらいだって」  瑞輝は京香が拾ってくれたお守りを受け取った。鞄につけていた交通安全のお守りだ。ばあちゃんが勝手につけた。交通安全も何も。俺は生まれたことが事故みたいなもんだからなと言ったら笑われたのを思い出す。 「一ヶ月休んだら、俺は二度と来れなくなる」瑞輝は京香を見て笑った。 「なんで。休み癖がつくってこと?」京香は気の強い眉を寄せる。 「いろいろ」瑞輝はため息をついた。「オジさんに、カステラ旨かったって言っておいて」  京香はうなずく。「怪我してるよ、ここ」京香は自分の頬を触った。瑞輝は頬に手をやり、その手を見た。指先に血の筋がついたが、ちょっとした擦り傷だと鏡を見なくてもわかった。 「これぐらいは」瑞輝は指の血を舐めた。  京香は黙って瑞輝を見た。父がどうして瑞輝を褒めるのか理解できなかった。褒め方がまたムカつく。何をどうしたから良いという評価ではなく、彼はおまえが言うほど悪くない人間だと父は言う。京香の人間評を否定し、その上で瑞輝を褒めている。二重に否定された気がして京香は傷つき、そして勝手に瑞輝を憎みそうになる。  瑞輝は京香のそんな視線を読み取ったのか、目を伏せて小さく息をついた。そして目を上げると京香を真っ直ぐに見て「敵を間違ってる」と言った。  京香はカチンとなって瑞輝をはり倒したい気持ちに襲われたが、何とか耐えた。無視だ。無視しよう。フンと踵を返そうとしたら、腕を掴まれた。
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