■ 火曜日 ■

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 瑞輝の通う日丘北高校はちょっとした坂の上にある。昔はそこが日丘と呼ばれていたらしい。その坂を真っ直ぐ下りてくると、坂道の一番下の辺りに金剛寺がある。金剛寺は辺りでは一番大きな寺で、保育所も併設しており、柔道場も持っている。金剛寺の若住職が小学生向けに柔道教室をやっていて、夜は大人も少しやっているらしい。  その教室のない日に瑞輝は柔道場を使って、柔術や剣術を週に一、二回習っている。練習には金剛寺のクソ坊主、桜木住職が立ち合う。柔道場が使えない日には、写経とか座禅をやらされる。  瑞輝は自転車通学をしている。メタリックブルーのマウンテンバイクが愛車だ。その愛車を疾走させて瑞輝は金剛寺の石段の前に停める。十段ほどの石段を上がると、金剛寺の境内に入る。両脇に石灯籠があって、足元には砂利が敷かれている。数メートルの砂利道の端には古い木が植わっていて、この季節はツクツクボーシが鳴いている。  瑞輝は中央の道から離れ、脇道に入る。右側に保育所があり、左に柔道場がある。今日は桜の木なんて切っていたから少し遅れた。ラーメン食っていたせいか。伊勢谷というテニス部の女に絡まれたせいか。  少し急ぎ足で柔道場に近づくと、桜木は柔道場の入口近くで誰かと喋っていた。瑞輝は足を止め、桜木と客人の会話の邪魔をしないように静かに大回りで通り過ぎようとした。  桜木は瑞輝を見て手を挙げた。そして黙って手招きする。  瑞輝は客人が振り返るのを見た。見た事があるような、ないような。わからないが、とりあえず手招きされたので桜木の方へ行く。 「こちら、鈴木建設の社長の鈴木さんだ」桜木が言った。瑞輝は灰色の作業服の相手を見て、ぺこりと頭を下げる。 「今のお話でしたら、この子と一緒に伺った方がいいかもしれませんな」桜木は瑞輝を見てから鈴木を見た。「うちの教え子です。感覚がいい子で、問題の部分に連れて行けば、原因がわかるかもしれません」  鈴木は瑞輝を下から上へと眺め上げた。不審なものを見るような目に、瑞輝は軽くムッとした。 「鈴木さんのところで請け負っている下水管工事が、ある一つのところで中断させられてるみたいなんだ。機械が壊れたり、水漏れが起こったり、あわや崩落事故寸前になったり。何か地縛霊でもいるんじゃないかと作業員の方が言うので一度見て欲しいそうだ」 「龍清会を通した方がいいんじゃねぇ?」  瑞輝は五十前後の鈴木社長をチラリと見た。おそらく従業員にも気性の荒いのがいるのだろう。そういう扱いには慣れているんだぞという目で見てくる。 「通してもいいが、どちらにせよおまえが決めるんだろう。やるかやらないかは」  桜木が言って、瑞輝はうなずいた。そうだった。十七になった日に言われたのだった。龍清会の本部とやらに初めて呼ばれ、豪華な会議室でつまらない儀式を受けた。三人の老人に「君を正式に黄龍と認める」とか言われて契約書みたいなものに血判を押さされ、それから言われたのだ。これまでは龍清会が黄龍の行動を細かく管理してきたが、以後は黄龍の規制を一部解除すると。  というわけで今まではどの神事を受けて、どの依頼を蹴り、どの人物と組んでおくかというのは龍清会が決めていたのだが、それを突然瑞輝が自分自身でやることになった。もちろんサポートとして今まで通り伊藤光星という人物はつく。が、彼は面倒がってなかなかサポートしてくれない。 「やるよ」瑞輝はため息をついた。断る理由がない。「いつ?」 「明日の朝でも」桜木は事も無げに言う。 「平日だぞ。学校がある」瑞輝は桜木に思い出してもらおうと思って言った。ボケたのか、クソジジイ。 「どうせ寝てるんだろう。一時間ぐらい遅刻してもおまえの成績には影響せん。第一、鈴木さんたちの仕事始まりは八時だ。チャッチャとやれば遅刻もしないですむ」 「地縛霊だったら、先生の守備範囲だろうが」 「そうじゃないかもしれないだろう。一緒に行けば手間も省ける」  瑞輝は桜木を見たが、もう反論しなかった。 「ということなので、ご安心ください」桜木は鈴木社長にニコリと笑った。  瑞輝は息をついて柔道場の中に入った。二人はしばらくまだ外で話をしていて、瑞輝はその間に服を着替え、準備運動をした。
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