■ 水曜日 ■

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■ 水曜日 ■

 翌朝、瑞輝が鈴木建設との待ち合わせ場所に行くと、桜木が先に待っていた。鈴木社長も一緒に待っていた。 「遅れた?」瑞輝が言うと、桜木は首を振った。 「いや、ちょっと先に見ていたんだ。地縛霊だったらおまえには帰ってもらおうと思ってな」  ふうんと瑞輝は辺りを見た。スポーツセンターの裏手にあたる。地縛霊だったら死んだ理事だなと思ったが、それも言わないでおく。思った事を全部言うと、ぶん殴られると今までの経験でわかってる。 「で、地縛霊じゃなかったのか」  瑞輝は黄色と黒のカラーポールで囲われた工事現場の中に入る。作業員が他に一人いて、鉄の道具で地面に置いてあった蓋を持ち上げる。すると二メートル四方ほどの穴が現れた。 「中に入れって?」瑞輝は顔をしかめた。 「大丈夫だ。さっき入ってみたが問題はなかった」桜木はうなずく。 「俺、最近、縁起悪いからな。俺に限って崩れるって可能性もあるだろ?」 「可能性なら何でもある。とっとと入れ」  桜木は渋る瑞輝のリュックを引きはがした。瑞輝は仕方なくリュックを置いてヘルメットを受け取り、作業員の誘導に従い、地中への階段を降りる。  湿っぽい空気が漂っていた。洞窟なんかと一緒だなと瑞輝は思う。下水管は思ったより大きかった。瑞輝は自分が抱えられる程度のコンクリートパイプが走っているのだろうと想像していたが、もっと大きなものだった。瑞輝の背の高さ以上の直径を持つパイプで、これはむしろ地下トンネルと言った方が正しいようだった。 「作業が止まってるのはこの先です」  瑞輝の後から下りて来た鈴木建設の社長が言った。瑞輝は彼が指を差した方を見た。 「下水管というのは大きな道路の下を通っているんです。ここを真っ直ぐ行くと、県民ホールの交差点に当たります。その手前辺りで小さな問題が起こっています」  桜木は来ないようだった。瑞輝はトンネルの先を見た。とりあえず進まないと現場に行けないらしい。 「こちらです」作業員に促されるままに瑞輝は進む。  瑞輝は運動靴が所々の水たまりで濡れるのを避けながら歩いた。  トンネルは完成しているように見えた。一応形は完成しているそうだ。が、試しに放水してみたら、瑞輝が連れて来られた場所で細かい亀裂が見つかったり、原因不明の機械の故障や作業員の体調不良が続く。そういうわけで見て欲しい、というのだった。  立ち止まった場所には、何かの土木機械が置いてあった。接着剤の入った太い絵の具チューブみたいなものもある。見慣れない物体が並んでいるのを見て、瑞輝はじっとそれらを見つめた。なんかよくわからないがすごい。 「入間君」鈴木社長が言った。瑞輝は我に返り、前を見た。それから上を見た。そうだった。俺は今仕事で来てるんだ。 「何かありますか」鈴木社長は疑わしそうに瑞輝の視線を追った。 「小さい故障ですよね」瑞輝は彼を見た。「体調不良も入院とかするほどじゃないと」 「そうですけど」  瑞輝はため息をついた。「じゃ、偶然ですよ、たぶん」 「え?」鈴木社長は明らかにムッとした。そして昨日会った時のように、不信感を込めた目で瑞輝を見る。  瑞輝は作業員と社長に挟まれている自分の立場を理解した。トラブルは避けよう。本当のことを言っても誰も穏やかに笑ってくれたりしないんだから、適当に嘘を散りばめたらいいんだよと龍清会の伊藤は言う。ただ、瑞輝にはその加減がよくわからなかった。とはいえ、嘘がすごく上手いわけじゃない。 「あの…」瑞輝は鈴木社長の凄みのある目で睨まれて、言葉を一生懸命に探した。下手なことを言うと殴られそうな気がする。「何もなかった地下にトンネルを掘っただけで、不自然にはなってるわけです。そこにちょっとした不自然の塊ができたとしても、しょうがないわけで。ここは確かに故障しやすかったり、水漏れがしやすい場所かもしれないですけど、それだけ手を入れるべき場所じゃなかっ…」 「説教してるつもりか?」  さっきまで丁寧に説明してくれていた作業員が突然瑞輝のシャツを掴んだ。瑞輝は驚いて彼を見た。いやぁ、急変タイプは怖い。 「説教じゃなくて、説明…」 「うるさい! 社長、やっぱりこういうのに頼るのは良くないですよ。どうせ適当なこと言って金取ってるだけなんだから」  金はもらってない、と瑞輝は思ったが黙っていた。きっと桜木の金剛寺にお布施してる檀家関連なんだろうから、回り回って金はかかってるだろう。瑞輝が金剛寺に世話になってるということは、鈴木建設にも世話になってるということだ。 「手を離せ。上に戻ろう。入間君も学校があるんだから」  鈴木社長が言って、瑞輝はホッとした。作業員に睨まれたが、どうにか殴られなかった。  上に出ると、桜木が笑顔で待っていた。 「どうだった?」  瑞輝はヘルメットを置いて、自分を睨んでくる作業員をチラリと見た。 「トンネルを埋めたら問題はなくなるんじゃね?」  瑞輝は桜木にだけ聞こえるように言ったつもりだったが、どうやら作業員にも聞こえたらしく、彼がすっ飛んで来て瑞輝に殴りかかった。  桜木は瑞輝が振り返って作業員を認め、それから自分の方に視線をやるのを見た。桜木は反応できなかったが、後から思うとあれは許可を求めていたのだろう。殴り返してもいいですか。あるいは、阻止するために少々荒っぽいことしてもいいですか。という感じの許可を。しかし桜木が応じなかったので、瑞輝はスパーンときれいに拳を受けた。  やれやれ。桜木は息をついた。きっとスポーツセンターでゴルフクラブで殴られたのもこういう状況だったんだろう。 「何しやがる、てめぇ」威勢のいい台詞を吐きながら、瑞輝は唇をきれいに切っていた。左手で右腕をぎゅっと握っている。まるで左手が右手を止めているかのようだ。 「申し訳ありません」  鈴木社長が作業員を引きはがし、桜木も同じように瑞輝を自分の後ろにやった。 「おまえのことは知ってるぞ。疫病神の龍憑き野郎が」作業員が叫ぶと、瑞輝も応じた。 「うるせぇ、だったら最初から呼ぶんじゃねぇ」 「こら瑞輝、黙れ」桜木は瑞輝の口を塞いだ。瑞輝はその手を振り払い、リュックをひったくると工事の囲いを抜け、停めていた自転車に乗って走って行ってしまった。  桜木は鈴木社長と作業員に頭を下げ、今後同じ事のないようにしますと詫び、そしてもし必要ならば黒岩神社に祈祷の手配をしますがと言った。もちろんちゃんとした宮司が来ます。  その方向で話がつき、桜木はホッとした。  瑞輝はちゃんと学校に行ったんだろうかと桜木は地面にポツポツと落ちた瑞輝の血の跡を見ながら思った。
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