■ 木曜日 ■

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「先生」瑞輝が藤崎を見た。 「ん?」藤崎は栗山を気遣いながらも瑞輝に顔を向けた。 「桜、まだあんまり調子良くないみたいだな」 「ああ、中庭の桜か? そうだな」 「創始者の怨念かもしれねぇな。そうだったら俺は守備範囲外だからな」 「渡瀬の問題だ」栗山が二人の間に割って入る。「入間、明日の朝、状況説明をしてみんなの疑いを晴らそう。そうすれば問題はなくなる」 「俺が言い訳してるって思うだけじゃねぇの? そんなもん、黙ってりゃそのうちみんな忘れるんだよ」  瑞輝は面倒そうに担任を見た。  藤崎はどちらの気持ちも理解できた。形だけでも潔白だと訴えてもらいたい教師と、疑われることには慣れている生徒。どちらの意見も正しく、またどちらの意見も誤っているとも言える。 「難しいねぇ」藤崎は二人を見比べた。  とりあえずその日は二人の意見は合うことがなく、栗山が職員会議に、瑞輝がバイトがあるからと別れた。 「バイトって神社のか?」藤崎は剣道部に顔を出すついでに、校門に向かう瑞輝と途中まで一緒に歩いた。 「まぁ、広く言えばな」瑞輝は言葉を濁した。藤崎は他の教師よりは入間瑞輝のプライベートについて知っているつもりだったが、瑞輝は学校外で何をしているかはあまり口にしなかった。噂はたくさんある。実際に去年は国語教師が親戚の厄払いをしてもらったというし、柔道部の顧問である体育教師は彼を国宝の神社の神事で見たという。しかし彼が具体的に何をしているのかは誰にもよくわからない。中庭の桜の件だって、瑞輝は自分の血を桜にくっつけて、枝を感性の赴くままに切っただけだ。祝詞をあげるわけでもなければ、酒や魚の貢ぎ物をした気配もない。九字を切ったようでもないし、結界を張った雰囲気もない。木を見上げていただけだ。 「桜が死んだりしたら、俺、退学かなぁ」  瑞輝がぽつりと言って、藤崎は首をひねった。 「どうして。おまえには関係ないだろう」 「変な切り方をして、って教頭センセに怒られちゃったよ」 「いつ? 今日か?」 「桜を切った日だよ。枝を焼却炉に運んでたら呼び止められて」 「どうしてその日に言わないんだ。俺が説明してやったのに」藤崎は呆れて言った。 「教頭は藤崎センセのこと、あんま好きじゃねぇだろ? 言わない方がいいだろなって思ったんだよ。そんで桜がちゃんと治ったら、教頭も文句ねぇだろと思ったから。でも治らないな。俺が間違ったのかもしんねぇ。そんな切り方して桜が倒れたら、おまえは学校のものを壊した器物破損だとか言ってたよ。若いって言っても樹齢百年ぐらいはあるだろ。弁償できるもんじゃねぇしな」 「教頭が俺のこと嫌いだって?」 「嫌いだとは言ってねぇ。好きじゃねぇってだけで。先生、俺とつるんでるから、何かと怪しまれてんだよ。安達先生は柔道部強いからしょうがねぇって思われてるけど、藤崎センセは剣道部弱いし、こんなバカ学校に東大卒の先生はいらねぇしって思われてんだよ」 「そうだったのか」藤崎は小さなショックを受けた。「じゃぁおまえが剣道部に来て、剣道部を強くしてくれ。一緒にやらなくていいから、うちの奴らに戦いの基本みたいなのを教えてやってくれ」 「それはどうかな。保護者から苦情が来るんじゃねぇ?」 「そうか…」藤崎はため息をついた。「今から最終学歴を変えることはできないしな」 「そうだな、俺は先生の授業、好きだよ」  瑞輝が言って、藤崎はニヤリと笑った。「そうか? どの辺が?」  二人は校門前まで来ていた。瑞輝は立ち止まって藤崎を見る。 「人間が一番偉いって思ってないとことか」 「それは授業と関係ないだろう?」藤崎は困って言った。 「でも先生が生物を教えてて、一番言いたいのはそういうことじゃねぇの?」  藤崎は瑞輝にじっと見つめられて考えた。そうなのか? 自分自身でも思っていなかった解答を出されて、藤崎は戸惑った。 「しかしそうか、俺は生物を通して生徒にそんなことを伝えたかったのか」  藤崎は納得してうなずいた。 「なんで先生が納得してんだよ」瑞輝は笑った。 「いや、俺も気づいてなかったからさ」  ふうんと瑞輝は校門の方を見た。「じゃぁ行く。栗山先生のこと、慰めといて」  藤崎は笑った。「なんで」 「傷ついてんじゃねぇ? 俺が先生も信用してねぇだろ的なこと言ったから」  藤崎は少し後悔しているような顔をする瑞輝を見た。なんだ、わかってたのか。 「サヨナラ」瑞輝は歩き出す。 「バイト頑張れよ」藤崎は手を振った。瑞輝はへーいと軽く答えた。
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