■ 木曜日 ■

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 伊藤光星は女子大の考古学の教授をしている。ちょっと前まで講師だったのだが、新設された大学の教授に招聘されたのだった。それもこれも、入間瑞輝というチャラっとしたガキのおかげだ。もっとも、チャラっとしているのは主に外見だけで、中身は普通に勉強のできない高校二年生だ。  金髪に片目だけ金色の瑞輝がつまらなさそうに伊藤の研究室でパソコン画面を見ている。画面の中では老婦人が泣きながら話をしている。瑞輝の方は先方に顔を見せていないから、あくびなんてしている。  瑞輝は五時から九時まで、一人一時間で四人の話を聞いた。聞くだけでいいと言われている。特に解答は与えなくていい。みんな話を聞いて欲しいだけだから、と伊藤が言う。そして確かにそうらしい。みんな愚痴やら悩みを思いっきり話すとスッキリして自分で解決方法を語り始める。そして最後には瑞輝にありがとうございましたと言う。黄龍さまに話を聞いていただいたら、自然に解決方法が目の前に現れるのです、とどこかの誰かが言っていた。信じる心ってのは素晴らしい。  でも疲れるのは疲れる。瑞輝はパソコンの電源を切ると、キーボードの前に突っ伏した。 「ご苦労さん、腹減ったろ。今日はイタリアンにしよう」  伊藤は瑞輝の肩を叩いた。瑞輝は顔を上げて伊藤を見た。 「こういうことって、ホントに俺がやんなきゃいけないのかな。伊藤さんがやってもいいんじゃないの? 顔は見えないんだし、黄龍が誰だか向こうも知らないんなら」 「そんなこと言ってると殴るよ。ほら立って。君を待っててあげたんだから早く行こう」  伊藤はそそくさと鞄を持った。瑞輝も腹は減っているので立ち上がる。  伊藤のなじみのイタリアンへ瑞輝を連れて行く。このガキンチョはこう見えても『信仰対象』だ。全国各地に龍神信仰はあるが、黒岩神社に大蛇が封じられた伝説はそのうちの一つと言える。黒岩神社自体の歴史はそれほど古くないが、龍清会が守って来た黄龍というものには二千年ほどの歴史がある。かつては一つの一族が黄金の龍の力、龍気を龍から微量だけ拝借して国を司るのに利用してきたという。戦乱の世にも、近代にも、龍気を扱うその一族は重宝されてきたが、時代が龍気を求めなくなるにつれて力を弱め、一度は解散した。それが黒岩神社に大蛇が封じられた四百年前。黒岩に封じられたのは、龍気を帯びた一族の一人だったと言われている。  四百年後、その一族の遠い遠い血を引く家に瑞輝が産まれた。瑞輝には双子の弟がいて、二人とも龍気を持っていた。だが弟の方は瑞輝に比べて極端に弱かったから十四歳の時に龍気に負けて命を落としてしまった。その辺りのことを言い出すとややこしいので、伊藤はもう彼の弟の話をほとんど口に出さない。瑞輝も今ではあまり言わなくなった。弟を失った当初は自分が弟を殺したと悩んでいたようだが、あれは仕方なかったと伊藤は思う。龍気というのは器を選ぶのだ。生まれつき瑞輝の方が器が大きかった。そちらに弟の龍気が流れてしまったからといって、瑞輝に責任はない。水が高いところから低いところに流れるのと同じで、自然のルールだ。そこには誰の責任もない。  とにかく瑞輝が今は『黄龍』だ。龍清会も渋々それを認めた。伊藤の家も昔から龍清会の人間だ。龍清会は宗教団体ではない。使命はただ一つ。長い歴史の中で、いつ誕生するとも知れない『黄龍』を守ること。四百年前に龍気を司る永世家が絶えてから、龍清会の役目も終わったと思われていたが、入間瑞輝が突然覚醒したことで急遽招集がかかったのが五年前。まだ十二歳だった坊やは、自分に何が起こったかわからずに当惑していた。その時点では伊藤は瑞輝に接触しなかった。覚醒してもそのままつぶれる者も多いはずだったから。その証拠に不完全な覚醒を見せた瑞輝の双子の弟は命を失っている。  しかし坊やは一つの目安になる五年を経て、今なお元気だ。というか以前よりさらに龍気を強め、平気な顔して神事で神と対峙し、身の回りの自然と対話している。  伊藤は夢中でパスタを食べている瑞輝を見た。 「うまい?」と聞くのもバカバカしいほど瑞輝はパスタに集中している。でも聞いてしまった。  瑞輝は目だけを上げて伊藤を見る。「うまいっす」  伊藤はため息をついた。「そうだろうね。あのさ、黄龍って自覚、やっぱりもっと持った方がいいと思うんだよね。君、自分で判断できるようになってから、ほとんど依頼を断ってないでしょ。それはやめた方がいいよ。後々大変になるから、僕が。だって報告書書くの僕なんだし」  瑞輝は伊藤をじっと見た。 「だって伊藤さん、相談に乗ってくれないじゃないですか」  伊藤はニヤリと笑った。「忙しいもん」  瑞輝は黙ってパスタのエビを食べた。クリームソースがうまい。ほうれん草が入ってなければ最高なんだけどなと思う。別に食えないわけじゃないが、食いたいわけでもない。
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