■ 金曜日 ■

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 六時間目の授業が終わると、瑞輝はとっとと帰ろうと思った。いわく付きの人形なんて持ってたらろくなことがないので、さっさと晋太郎か金剛時に預けてしまいたい。人形のそばには小さい空気の塊が座り込んでいるし、これが霊でも神でも魂でもついて回られるのは鬱陶しい。  校舎の一階の靴箱まで下りて、靴を履き替えていたら、ちょんちょんと肩を突つかれた。振り返るとテニス部のジャージを着た京香が立っている。 「何だよ、殺人犯って言いに来たのか?」瑞輝はスニーカーを履いて彼女を振り返った。 「違うわよ。言っておくけど、あの紙、私じゃないから」京香はそう言うとプイと横を向いた。 「そんなことわかってら」  京香は瑞輝を意外そうに見た。「ホントに疑ってないの?」  瑞輝はムスッとしたまま彼女を見る。京香は少しどきりとした。この黒と金色の目で見られると魂が抜かれるとか聞いたことがある。確かにちょっと変な感じがする。どこに焦点が合ってるのかわからないし、まるで心の中をじっと見られているみたいな気もする。 「何よ」京香はふんと背中を向けた。自分の靴箱に行き、靴を履く。  他の子に混じって外に出ると、瑞輝は中庭の桜の方に歩いて行くところだった。京香は歩を緩めてそれを見た。瑞輝は桜の幹に手を当て、じっと枝を見上げている。九月の桜は成熟した緑の濃い葉が茂っているが、夏の暑さでところどころ傷んでもいる。脇には古くて小さな石の碑が建っていて、明治何年植樹というのが書いてある。 「入間ぁ」校舎の上の方から声がして、瑞輝と京香は目を上げた。歩いていた何人かの生徒もチラリと振り返る。二階の窓から藤崎が顔を出していた。 「どうだぁ? マシになってるかぁ?」  その質問に、瑞輝は首を振った。 「そうかぁ、でもおまえのせいじゃないぞぉ」藤崎はニコリと笑った。  瑞輝はそれに応えて手を上げ、そのまま桜から離れて歩き出した。 「京香」声をかけられて、京香は横に来たチョコを見た。 「ああ、チョコ。これからクッキング?」  うん、とチョコはうなずいた。二人は小学生の頃からの友達だ。家が近かったこともあり、お互いの家によく遊びに行った。昔は二人でケーキ屋さんをやろうねって言っていたのだが、今では京香の夢は変わってしまった。でもチョコは笑顔で応援してくれる。 「入間君、何か言ってた?」チョコは心配顔で聞いた。京香が瑞輝に自分がやってないことを言ってくる、というのを知っていたからだ。 「私じゃないの、わかってるって」  そう言うと、チョコは嬉しそうに顔を明るくした。「良かったね!」  京香はうなずいた。チョコはどっちも嬉しいんだろうなと思う。入間君が私を疑ってないことも、私が入間君に疑われてないことも。 「入間君は本当にお菓子が好きなんだよ。この辺のお菓子屋さんは全部知ってるし、遠くの有名なお菓子屋さんとかもよく知ってるんだ。どこのパイがおいしかったとか、あの店のあのケーキがおいしいとか。パフェならあそこかあそこ、って三つぐらいすぐ出てくるし、シフォンケーキとかメレンゲとかビスキュイとかってちゃんと言葉も知ってるんだよ」  チョコは嬉しそうに入間瑞輝を擁護する。 「ふうん」京香はだからって瑞輝を安易にチョコに近づけてはならないと思う。粗雑そうなあんな奴、チョコが泣かされるに決まってる。 「コンビニスイーツもよく知ってて。こんど新しく出るかぼちゃプリン、すっごくおいしいんだって」 「なんであいつが新しく出るプリンのこと、知ってるわけ?」  京香が言うと、チョコはウーンと考えた。「なんかね、試食させてもらったって言ってた」 「ふうん」怪しいもんだわ。 「話をしてると、すごく楽しいの」チョコがうっとりして言って、京香は彼女の横顔を見た。恋をしている顔だ。 「チョコ、ダメだよ。入間君なんか人間としてなってないんだから。提出期限は守らないし、しょっちゅう遅刻してるし休むし、人を呪ったりしてるんだから」 「呪ってないよ」チョコは少し悲しそうに言う。 「龍が憑いてるんだよ」 「京香、そんな話、信じてるの?」  京香は口を尖らせた。「信じてなくても、そういう噂のある奴なんかとチョコがくっつくのはやだ。だって噂なんだから違うって言えばいいじゃない。そのままみんなを怖がらせておいて、黙って笑ってるのは性格が悪いよ。凶悪だよ。どうせきっと本当はすっごく弱いんだよ」 「くっつくなんて…」チョコは赤くなった。「そんなんじゃなくて、ただお菓子の話をしてたら楽しくて。それもダメなのかな」  京香はダメとは言えなくて黙った。 「入間君も楽しそうだったよ」チョコは幸せそうだった。  京香はそんな親友の笑顔を見て息をついた。「そうだね、楽しいなら仕方ないか」  チョコは嬉しそうに京香を見た。 「でもあいつがチョコを傷つけたりしたら、私、本当に許さないからね」  京香が気合いを込めて言うと、チョコは恥ずかしそうに笑った。 「ありがと。京香も誰かに傷つけられたら私、一生懸命守るね」  チョコに言われて、京香はちょっと赤面した。
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