■ 土曜日 ■

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 スポーツセンターの第一多目的室で試合は行われていた。さっきもチラリと見たが、二階の観客席が周りを取り囲み、それは立派なものだった。瑞輝は階段の下にあったゴミ箱にアイスの棒をポイと捨てると、観客席の方へ上がった。  剣道部の顧問、藤崎が瑞輝に来いと言った理由は、見ている間にわかった。  瑞輝はスポーツとしての剣道を知らなかった。中学や高校でクラブでやっているのをチラリと見たことはある。それも基礎練習だったり体力作りがメインで、武道室内で行われている練習はそれほどじっと見た事がない。緊張感に包まれた試合会場なんてのは本当に初めてだった。  瑞輝も剣は握る。竹刀ではなく、木刀か真剣だ。瑞輝が習っているのは古武道の剣術であり、神事を行うための武術だ。黒岩神社に生後一ヶ月で引き取られてから、そんなもんばっかり教えられてきた。流派があるのかどうかも知らない。とにかく、入間のじいちゃんが教えたことを瑞輝は覚え、大きくなってからの神事に役に立っているという事実があるだけだ。小学生ぐらいになって、ふと気づいた。自分がめっぽうケンカに強いということ。相手の動きが簡単に見抜けるということ。そして剣道や柔道や少林寺拳法をやっている、どんな奴にも負けないということ。  中学、高校と上がるに従い、瑞輝は自分の強さを自覚するようになった。もちろん周りの制限もあった。他人を傷つけるようなことをしたら、これ以上は教えないぞと言われたのもある。しかしそれ以上に自分自身で感じていた。俺はその気になったら、相手をけっこうやっちまえる。だからやらないことにした。高校に上がって、剣道部の藤崎にはすぐに見抜かれた。おまえの剣は人を殺す剣だと。あれはちょっとばかりショックだった。確かにそうだ。でも人殺しと言われた気もした。  目の前で行われている世界は、ルールのある世界だった。枠の中で剣の技術を高め合う。瑞輝はそういう世界を知らない。相手はいつでも神という名の敵だし、場合によっちゃ命も取ろうって相手だし、油断ならない。神事に呼ばれるときの緊張感は、張りつめるなんてもんじゃない。自分自身を切ってしまいそうになる。  瑞輝は観客席で応援している下級生や保護者と、下の試合会場でやっている選手とを見比べた。負けても健闘をたたえられ、勝つと一緒にみんなが喜んでいる。狭く軽い世界とも言えるが、その狭さも軽さも羨ましく感じられた。 「入間!」  かなり離れたところから、藤崎が手を振っていた。瑞輝はそれをチラリと見て、横の剣道部員が迷惑そうな顔をするのを見た。  それで藤崎を無視して下に目を戻し、新しく始まった試合を眺めていたら、後ろから背中を叩かれた。 「入間、呼んでるのに無視するとは何だ」  藤崎はペットボトルのジュースを持っていた。それを瑞輝に出す。 「剣道部のだろ、もらえねぇ」瑞輝が拒むと、藤崎は笑って瑞輝のジーンズのポケットにジュースを無理矢理に突っ込んで来ようとした。 「母校の応援に来たんだろ? もらう権利がある」  藤崎はニコリと笑った。瑞輝はポケットに首だけつっこまれたペットボトルを取り出し、剣道部のいる方をチラリと見た。何か言っている生徒がいたが、瑞輝と視線が合うとすぐに目を反らした。 「残念ながら母校は敗退した」  藤崎が言って、瑞輝は苦笑いした。 「相変わらず弱いんだな。顧問の指導力不足か?」 「突き落とされたいのか?」藤崎は笑顔で言う。瑞輝はへへっと笑って下を見た。  藤崎も一緒に並んで試合を見た。成年の部の個人戦が始まっていた。  瑞輝はジュースのラベルを眺め、オレンジ百パーセントとつぶやいて、一口飲んだ。
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