■ 金曜日 ■

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 瑞輝はため息をついた。これ以上粘っても晋太郎の怒りを増幅させるだけだ。 「それ、何か憑いてんのかい?」棟梁が聞く。  瑞輝は彼を見た。短く刈った丸坊主に、濃いひげ。最初に会った時も瑞輝に煙草を勧めて来て、兄ちゃんに龍が憑いてるって本当かい?と聞いてきた。瑞輝が煙草は断り、うんとうなずくと、そりゃすげぇやと笑った。笑われた意味は今でもよくわからない。 「憑いてるのかなぁ、晋太郎が嫌がってるから。でも晋太郎は何でも嫌がるからな」  瑞輝は人形を紙袋に戻した。そしてトンカンと音がする建築中の家を見上げる。材木を運ぶのを瑞輝も休みの日に付き合ったことがある。大工の仕事ってのはな、という話を棟梁にたくさん聞いた。兄ちゃんは将来、やっぱり神社の後継ぎかいと聞かれて、血がつながってないから継がないと思うと答えた。 「目に見える仕事っていいなぁ」  瑞輝は今までにも作りかけの家を見るたびに思って来たことを口にした。 「いいだろう」棟梁は腕組みをして自慢げに言った。  瑞輝は組み上がって行く木を見ながら、その向こうの空を眺めた。 「でもな、兄ちゃん、目に見えない部分の方が大事なんだ。外壁がきれいでも中身がしっかりしてないと家は傾いちまう。ガラスをいくら磨いても、窓に隙間があれば風も水も入ってくる。この柱だってそのうち見えなくなる。だけどしっかり守ってくれる。そういうもんが、この世のどこにでもあるんだ。宗教ってぇのはそういう土台を作ってるんじゃないか?」  瑞輝は棟梁を見た。「俺は神社を継がないってば」  棟梁は灼けた顔にしわを寄せて笑った。「兄ちゃんはここの疫病神なんだろ? いろいろ噂は聞いたさぁ」  瑞輝は黙って目を伏せた。晋太郎は工事を頼むのに、あちこち当たったらしい。地元に声をかけないのも変だろうと断られるのがわかっていて声をかけていた。結局は神社の修復などで付き合いのあった工務店で落ち着いたようだ。 「この辺の人間だってわかってるんだって。兄ちゃんがそうやって厄を引き受けてくれてること。兄ちゃんがここからいなくなったら、マズいってことも何となくわかってるもんさ。兄ちゃんがいなくなるとするだろ、そうなったら別の憎まれる対象が生まれるだけのことさ。子どものイジメと一緒でさ。ストレスのはけ口なんだよ、兄ちゃんは。そんでまた、兄ちゃんが神様みたいによくできた兄ちゃんだから、甘えてるんだよ。兄ちゃんは怒らないってぇ話だ。なんで怒らないんだ?」  瑞輝は眉を寄せた。「意味がわかんない。なんで俺が怒んなきゃいけない?」 「理不尽な扱いされてるからさ。嫌なこと言われたら誰でも怒るさぁ」 「龍が憑いてるとか、気味が悪いとか?」  棟梁はうなずく。「呪い殺すとか、出鱈目もいっぱい言われてるだろう」  瑞輝は少し考えた。そして顔を上げて棟梁を見た。 「龍が憑いてない、ってのは証明できないから怒れない。気味が悪いってのは、相手が思うことだから俺が何とかって言えることじゃないから怒れない。呪い殺すって話は、ちゃんとした話を聞いたことがないからわからない。そうだな…ムカつくのは、道を通るなとか、俺の店に来るなとか、そういうのかな。でもだいたいは、そんな店行くかって思ったらもう会うこともないわけだし。別の場所で会っても、その人の顔を覚えてないからムカつかないし。だいたい、そんときだけで」 「ほらな、できた兄ちゃんだ」棟梁は煙草をくわえた。そして瑞輝にも箱を差し出す。瑞輝は首を振った。 「忘れっぽいんだ」瑞輝は言った。「でもそういう意味では、それで得してると思う。ムカッとしても忘れる」  棟梁はうなずいて笑う。煙草に火をつけ、うまそうに煙を吐く。
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