■ 金曜日 ■

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「兄ちゃんは生き方で俺たちに教えてくれてんのよ。人を恨むってぇのはどんなに無駄な感情かってことを。悪いことをいつまでも覚えてたっていいことはねぇって教えてくれてるわけ」 「いいことも忘れるけど」瑞輝は肩をすくめた。「漢字も公式も忘れてしまう」  あはははと棟梁は笑った。白い煙が途切れながら出て行った。 「漢字を覚えて、大事なこと忘れちゃぁどうしようもねぇからなぁ。兄ちゃん見てると、俺は背筋がピンと張る気がするけどなぁ。凛としてるってぇ言葉が似合うよなぁ、兄ちゃんは」 「リン…?」瑞輝は棟梁を見た。 「そうさなぁ、シャキッとして強いんだよ。ケヤキかヒノキってとこかなぁ。ほらあの木はケヤキだ」  瑞輝は指をさされた木を見た。 「へぇ。うちの本殿にも使われてるよな」 「ほう、よく知ってるな」 「見りゃわかる」瑞輝はつまらなさそうに言った。 「冗談言っちゃいけねぇ。柱になったもんと、原木とを見てわかるってのは相当訓練された人間じゃねぇと」 「そっか」瑞輝はうなずいた。  棟梁は黙って自分の吐き出す煙を眺めた。 「兄ちゃんには、わかんのかい?」 「いや」  瑞輝は紙袋を持ち上げると、自宅の方へ行った。リュックを玄関に放り出すと、そのまままた外に出る。  晋太郎が家に置くなって言うんだからしょうがない。下の公園の燃えないゴミ入れにでも捨てるか。誰かに見られないといいけどな。またヤバいもん捨てたって嫌味言われてもアレだし。 「兄ちゃん!」  棟梁が呼んだ。煙草はもう吸い終わっている。  瑞輝は彼を見て足を止めた。 「わかるって怒ってくれて良かったんだぞ。兄ちゃんはホトケ様じゃないんだ。いつもニコニコしてなきゃいけねぇってスジはねぇんだからな」  瑞輝はじっと棟梁を見ていたが、しばらくしてうなずいた。 「わかる」  棟梁は満足そうにうなずいた。「だろうな。兄ちゃんならわかってもおかしくねぇ」  瑞輝は何となく何かを言いたい気持ちになったが、言葉にできなかったので言わなかった。そのままくるりと坂道を下りた。
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