■ 火曜日 2 ■

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 昼休み、中庭の桜の木の下で寝転がって空を見ていると、その視界に茶色のスーツの少し肉付きのいいハゲ頭が入って来た。 「隣、いいかな」  瑞輝はそう言われてうなずいた。何の先生だったっけ、現国、古文、数学、いや、倫理とかかもしれない。定年間近だっていう歴史の先生だっけ?  ハゲ頭は瑞輝の隣に腰を下ろすと、そのまま瑞輝の横に寝転んだ。 「なるほど」教師は少し楽しそうに空を見た。「こういう視線で見る空もいい」  瑞輝は黙って空を見た。桜の枝の隙間から見える青い空。相変わらず残暑がキツい。それでも伊吹山では朝晩は冷えるようになってきた。落ち葉も毎日増えていくし、虫の声が聞こえて来る。  今日はちょっと風がある。瑞輝はユアの家の隣の家を思った。今晩あたり、連絡があるかもしれない。  瑞輝は病気の桜を見つめた。相変わらず細い枝がウジャウジャと生えている。これが悪いものらしい。瑞輝にはよくわからない。確かに風の流れは悪くなってる。でも。細い枝がそれを導いているようには思えなかった。藤崎に見てくれと言われたあの日から、良くもなっていないようだが、悪くもなってない。  細い枝は編み目を刻むように一方向に向かって生えている。  ほら、まるで。瑞輝はじっとその編み目を見た。まるで…蜘蛛の巣みたいだ。山の中の神様にもてあそばれたとき、つかまった蜘蛛の巣みたいだ。嫌なこと思い出しちまった。  瑞輝は体を起こし、あぐらをかいて座った。手近な小石を手に取って、手前に一つ置く。  ここがスポーツセンターだ。俺の不運はここから始まってる。次に地下の水漏れ。  瑞輝は最初の石から右隣の場所に二つ目の石を置く。その二つの石の中間を下にひっぱった辺りに三つ目。人形を拾った池だ。その左側にまっすぐ行くと喫茶ポルカの隣の家。  瑞輝は四つの石をじっと見た。ポルカを北上すると金剛寺で、さらに北上するとこの高校に着く。  桜は五つ目の石だ。 「数学の問題かい?」  隣に寝ていたハゲ頭が覗き込む。瑞輝は首を振った。昨日の山の神事は入れるべきなんだろうか。すごく遠い場所にポイントを振らないといけないんだけど。  瑞輝はもっと手前に六つ目の石を置いた。スポーツセンターの北、この高校の東。 「先生、この高校の東側って何でしたっけ」 「うん?」ハゲ頭はにこりと笑った。「東側と言われてもねぇ。漠然としすぎて。いろいろあるよ」 「あ、じゃぁこんな感じ。ここがスポーツセンター、ここが県民センターで、こっちがうちの高校。そのちょうど中間の北側」 「しかし、いろいろあるよ。丘の下だろう。駅もあるし町もある」 「そっか」 「この石は何のポイントだい?」ハゲ頭がグイグイ近づいてくる。  瑞輝は相手を見た。 「先生って何の先生ですか?」 「私? 私は以前は政治経済を教えていたねぇ」 「今は?」 「今は何も教えてない」 「あ」瑞輝はやっと気づいた。「校長じゃん」  校長は笑った。「校長だと教えてくれないのかな? どうして教科を聞かれたんだろう?」  瑞輝は肩をすくめた。「別に意味はないです。この石は、ここんところ、調子悪い場所。この小さい町で、こんだけガタガタしてんのは珍しいから、何かあんじゃないかと思って。校長センセのこの桜も病気だって藤崎先生が言ってたけど、違うような気もするし」 「病気じゃないのか」  校長は少し嬉しそうに桜を見た。 「この木ももうダメかと、新しいのを植えようと思っていたんだよ。知り合いが秋にも咲く桜をくれるって人がいてね。秋も桜が見られるなら幸せだからねぇ」  瑞輝はそれが幸せかどうかわからず、じっと石を見ていた。校長は構わず話す。 「木の病気ってのは外側からじゃわからないからね。ほら、駅前の大グス、あれを切るとか何とか言ってるだろう。木は外が大丈夫に見えても中が悪くなってる場合があるからねぇ」 「オオグス?」 「そうそう、君が言ってたうちの高校の東側だね」  校長は瑞輝が置いた六つ目の石を指差す。  瑞輝はじっとスポーツセンターを中心とした五つの点を見た。 「欠落点は埋まったのかな?」 「ケツラクテン?」瑞輝は眉を寄せた。「なんかよくわかんないけど、変な五角形にはなった」 「そうか、これは五角形なんだね。真ん中は?」 「真ん中はスポーツセンター」 「そこが中心?」 「うーん」瑞輝は考えた。「わかんねぇ。真ん中だけど、何の真ん中なんだろ」  瑞輝はじっと五角形を睨みながら考えた。校長も一緒にニコニコと小石を眺める。 「君は学業成績が良くない」  おもむろに校長が言って、瑞輝は顔を上げた。 「はい」そんなこと知ってるよ、言われなくてもよ。 「いや、何もそれを責めてるんじゃない。君はいろいろ考えることがあって忙しいんだろうなぁと思っただけだよ。小さな町がガタガタしていることを心配するのは、本当は政治家の役目だ」 「余計なことすんなって意味?」瑞輝は不服そうに言った。 「いや」校長は笑いながら首を振った。「報われないなぁと思ってね」  瑞輝は首をかしげた。 「苦情電話をかけてくる父兄に聞かせてやりたいな。君の憂鬱を」 「あ、やっぱ苦情来てるんすか」瑞輝は唇を噛んだ。 「来てるねぇ。君を退学にしないのかとかね」 「退学すか、俺」少し焦る。  校長は笑った。「どうして。桜を無断で切ったから?」 「あ、スミマセン。でも藤崎先生もいた」 「らしいね。彼はいい教師だ。君たちはいい師弟関係を築けそうなんだけどなぁ」  瑞輝はそれについてはノーコメントでいることにした。生物の成績が良いとは言えない。どの教科も良いとは言えないのだが。 「とにかく君を退学にするつもりはないよ。君は学びたいと思っているし、他の生徒にも君は刺激を与える。生徒たちは互いに高め合うものだ。時に教師なんて不要なぐらいにね」  瑞輝はへへっと笑った。 「俺には校長とかの方が、無駄に思えるけどな」  そう言うとハゲ頭の校長は楽しそうに笑った。
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