■ 火曜日 2 ■

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 入間瑞輝に四字熟語を教えてやる必要なんてあるんだろうか。あるいは英語の動詞の変化を教える必要がどこにあるのだろう。化学物質を記号で表す方法を教える必要が? ヨーロッパの国々の経済連合を略して何と言うかとか、イギリスがそれに加盟しているかどうかなど、彼が知る必要があるとは到底思えない。  が、教えてやるのが黒田の役目なのだ。愚痴も吐きたくなる。 「そういえばそういうのも勉強したなぁ。しかしまぁ知らなくても生きてはいけるな」  山本はビールを飲みながら言う。  座学と実学。その方針打ち合わせをしようと山本が飲みに誘ってくれたのだった。黒田はその打ち合わせが必要だとは思わなかったが、余りにも今日の瑞輝の反応が悪かったので自信喪失して飲みたい気分だった。 「まぁ伊藤にも言われてるしな、敵は手強いってな。簡単にスイスイってわけには行かないさ。黒ちゃんもあんまり気を落とさず、一緒に頑張ろうや、なぁ」  山本に言われると、黒田も少し自信を取り戻す。そうだ、あれは自分のせいではない。向こうが出来が悪すぎるのだ。そうだ、そうだ。 「あいつもちょっと辛い立場なんだろうな。あの坊主は小さい頃から最大設定で教えられてきたわけだよ。そりゃ将来を見越せば、それが一番大事さ。おかげで無茶な危ない神事も任せられる。十二だっけ? その時点でちゃんとたぶん最大パワーを扱える訓練されてたわけだろう。人生の目的をそこに置いて生きてるんだから、そりゃ勉強なんてできるわけがない」 「そうですよねぇ」黒田はもうどうでもいい気がした。生徒が勉強ができようとできまいと。 「どうせ学校を出ちゃったら成績なんてどうでもいいのにな」 「そうですよねぇ」黒田は本当は同意できなかったが、一応同意してみた。疲れて議論する気力がなかった。あまり好きでもないビールをゴクリと飲む。今日のことは忘れたいぐらいだ。 「さっき聞いたら、あいつ、卒業したら就職したいって言ってたぞ。本気だと思うか? 誰がどう考えたって、このまま黒岩神社か龍清会に永久就職だろう。そう思わないか?」 「そうですねぇ…どこに就職するつもりなんですか?」  黒田は我に返って聞いた。あの生徒にそんな積極的な意志があったとは。 「地元は無理だろうって言ってたな。風当たりが強いから」山本は二杯目のジョッキを空ける。ほんの少し頬が赤みを帯びている。目の前のつまみも順調に減っていく。 「はぁ、そうですね」黒田はわずかに口をへの字に曲げた。確かに今の状態では無理だろう。しかし本気でそんなことを考えていたとは驚きだ。 「中学生の頃は自転車でメッセンジャーをやりたいと思っていたそうだ。そういうのは都会じゃないと働き口がないから、ついでに家も出られるし都合がいいと言っていたな。でも今は普通に高校生なら誰でもできるようなアルバイトがしてみたいと言ってた。接客とか工場作業とか、農作物の箱詰めとか。言うことがかわいいだろ」山本はそう言って笑った。 「ははぁ…」黒田はわからないでもないと思った。 「神事の手伝いしてる方が儲かるぞって言ったら、金がほしいわけじゃないとか言うからしばいてやった」  気の毒に。黒田は息をついた。きっと本心だったろうに。
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