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それでも鞄から教科書を出して、該当ページを開いて何度も読み返す。そして問題文と、教科書を何度も見比べて、式を書きかけては消した。
安達はそれを見て、自分の書類仕事に戻ったようだった。何やらパソコンで文章を打っている。
瑞輝は途中でプリントを断念し、体育教官室から見える空を見た。
秋だなと思う。風も雲もどんどん変わっていく。空の色も真夏とはぜんぜん違う。夏の空も好きだが、秋の空もいい。瑞輝は机の上に肘をついて、じっと窓の外を見た。
ユアのチーズケーキ、うまかったなぁと瑞輝は思い出した。ユアを怒らせたのはマズかったが、あれを食ってなかったらもっと後悔しただろう。しかしユア父が言っていた「チーズケーキが好きな奴に恋をした」というのは気になる。気になったところで自分が関係ないのもわかっている。ユアには過去に何度もアタックしているが、いつも本気にしてもらえない。そうやってふざけてばっかりいると怒られてばっかりだ。ふさけてない。超本気だ。でもユアには届かない。泰造は諦めろと言う。一旦離れて、大人になってからまた会うと、再燃してゴールインすることもある、と。ゴールインて何だ。ケッコンか。そう言えば小学生の頃は、好きイコール結婚だと思って、結婚しようとユアによく言ったものだ。ユアはきっとそれでふざけていると思ったのだろう。今、言い訳をさせてもらえるなら、あの時の結婚は意味が違う。一緒にいたい、それだけだった。
一緒にいるのに、恋人である必要はないと泰造は言う。親しい友人でもいいだろう、と。大切に思う相手が多いのは幸せなことだ。中指姫が誰かを好きになったら、それを温かく見守ってやれ。それが大きな愛というものだ。
チーズケーキが好きな男でも、スプラッタ映画が好きな奴でも、誰でも彼女が愛したものを尊重してやれと。瑞輝は自分がそんな広い心を持てるかどうか自信がなかった。でも、実際にこうなってみると、ユアが選んだ奴なんだからいい奴なんだろうと思う気持ちも湧いてくるのだった。
「できたのか?」
安達が聞いた。瑞輝はプリントを見た。できるわけないだろう。
「今度、俺、バイトするんだ」瑞輝は言った。
「何だ、急に」安達は生徒を見た。プリントは肘の下に敷かれて、生徒はボウッと窓の外を見ている。
「食べ物屋とか、コンビニとか、スポーツクラブの雑用とか、できるかもしれない」
「その前にプリントをしろ」
「こんなの難しくてできない」瑞輝はむくれた。「あの先生は俺が嫌いだから、わからない問題ばっかり出す」
「おまえがバカなだけだろう」
「違うんだって。ホントに俺が嫌いなんだって」
「じゃぁ勉強して見返してやれ」
「そうしたいけどよ」瑞輝はプリントをじっと睨んだ。「聞きに行っても教えてくれないしさ。授業中も俺ばっか当てて、黒板に書けって言って、書けないのわかってるくせによ。前にずっと立たされて、笑われんだよ。イジメじゃねぇ?」
「おまえが言うと、イジメじゃないみたいに聞こえるから不思議だな」安達は笑った。
「笑い事じゃねぇって。この前なんか、小テストで珍しく俺が答えが当たってたら、カンニングしただろとか言って、したとか言ってねぇのにゼロ点にしやがって。字が汚いとか言って減点するし、アレだよ、何とかハラ。セクハラじゃないやつ。先生ハラ」
「先生ハラって何だ」安達はまた笑った。「パワハラだな、言いたいのは」
「それ。クソムカつくから、この前、あいつの授業の前に、チョークを全部、ココアシガレットに変えておいてやった」
ブッと安達は吹き出した。「知ってるぞ、その事件。しばらく模倣犯が出て困ったんだ」
「モホーハンて真似する奴のことだろ? そんなとこまで責任取れねぇぞ」
「おまえがやったてのはバレたのか」
「お互い、わかってんだよ、証拠はねぇけど。だから俺はますます嫌われるわけだな」
「そんなことしてると、数学で進級、止められるぞ」
「そうだな。どうしたらいい?」
瑞輝が言って、安達は困って笑った。「それを自業自得って言うんだ」
「ああ、なるほどな。でも向こうが先だ」
「真っ向勝負しかできない奴だな。ちゃんと勉強して成績を上げたら、誰も文句は言わないだろ」
「つまんねーアドバイスだな」
「普通のアドバイスだ」安達はため息をついた。「人間誰でも相性ってのはある。数学の先生は他にもいるだろう。気の合う先生に教えてもらえ」
瑞輝はプリントで飛行機を折りはじめていた。
「こら」
「気の合う先生がさ、よく飛ぶ紙飛行機ってのを教えてくれたんだ。ほら、あの物理の」
「ああ、自転車の奴らに力学を教えてやるって言ってた先生か?」
「それそれ」
瑞輝は楽しそうにプリントで作った紙飛行機をひょいと飛ばした。飛行機はふわりふわりと飛んで、ゆっくり円弧を描いて別の教師の机に着地した。
「確かにすごい」安達は感嘆した。
「だろ」瑞輝は嬉しそうに飛行機を取りに行き、また飛ばした。「俺はみんなより得してるんだ、風が見えるから」
「そうかそうか。でも座って続きをしろ」安達が言うと、瑞輝はつまらなさそうに席に戻って来た。
結局、しばらくプリントと格闘したが、一問もできないままチャイムが鳴った。
「今日は『ジゴウジトク』を覚えた」と瑞輝が言うと、安達は呆れて首を振った。
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