■ 水曜日 2 ■

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 樹齢はよくわからないが、確かに大きな木だった。駅前の古い公園の古い楠だ。ツリーハウスが作れそうな大きく張った枝。つやつやと元気そうな葉。どう見たって中が腐ってるように見えないけどな。  木の周りには工事用の立入り禁止のバリケードがあった。入るな、と。  瑞輝は木を見上げ、そして地面に無数に落ちている緑色の小さな実を拾った。本当はもっと黒くなってから落ちるんだが。こんなに若い実を落とすなんて珍しい。  バリケードの横には『切り倒し反対』とか『私たちの家を奪わないで』とか書かれた看板が立っている。私たちの家、とは小鳥らしい。あまり上手くない鳥が描かれている。白い看板には事務的な文字で工事予定日が書かれていて、その文字をマジックで汚く消してある。再開発したい行政と地元民の抗争中ってことらしい。  瑞輝はよいしょとバリケードの隙間から中に入った。そして自分一人では抱えきれない大きな木を抱いてみる。  すげぇな。デカイな。うちの山にあるやつよりデカイかもしれない。  瑞輝は幹の周りを一周した。  瑞輝は木の根元に座り、幹にもたれた。  言いたい事はわかる。桜と違って明解だ。切り倒されたくないって意思表示としての落実だよな。でも俺には何の権限もねぇしなぁ。役所が切るって決めたんなら、なかなか翻すのは難しい。住民の反対の声もあるのに、それが届いてないってことは、そこに俺が一人入ったところで、それほど影響はないだろうと思うわけだ。  瑞輝は太い根に軽く手を置いた。  なぁ、人間ってのは勝手だよなぁ。何百年も生きてきたあんたを、邪魔だってだけで切り倒すこともできるんだから。その怒りは理解できるんだけどよ、俺は何もできねぇんだよ。そしてさらに言葉の通じない相手だったら、もっと何もしてやれない。本当に何もしてやれないんだ。  瑞輝は深くため息をつく。  人間が自然を守るんじゃない。自然は人間を生んだだけだ。何かの都合で。いつか必要ないと思うと、自然が人間を淘汰する。その日をじっと待ってるだけなんだ、俺たちは。鏡なんだ。いつか木を伐採したように、俺たちも切り捨てられる。そんな日が来るぞと風は警告しているに過ぎない。恐れるものではない。俺たちがいなくなっても、また新しい種類の命が繁栄する。人間というのは無数に生まれて滅する一つの種にすぎないんだから。  瑞輝は気持ちのいい風が吹いて髪を揺らすのを感じた。緑の葉がハラリと落ちて来る。  しばらく木の根元にいたが、通りすがりの住民に注意されて瑞輝はバリケードの外に出さされた。何をしていたのかと聞かれたので、木の声を聞いていたと言ったら、バカにするなと怒られた。 「あの木を切るとき、近寄らない方がいいですよ」と瑞輝は言った。  住民の初老の男は怪訝そうに瑞輝を見た。「どういう意味だ?」 「木は目が見えないから」  住民はますます怪訝そうに瑞輝を見た。頭が変だと思ったかもしれない。  瑞輝はそれ以上は何も言わずにその場を離れた。  結局何もわからなかった。  瑞輝はオオグスから、下水管の調子が悪い県民センター前の道を通り、人形が導いた池、そして喫茶ポルカの隣の家に行ってみたが特に何も変化はなかった。
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