■ 木曜日 2 ■

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 警察から金剛寺への一本道を走っていると、後ろからクラクションを鳴らされた。端に寄っているのに何の文句があるのか、俺を殺人犯だと思って轢き殺そうとしてんのかと思ったら、魚屋の軽トラだった。 「入間、また警察に呼び出されてたのか」  山内章吾は首にタオルを巻いた、いっぱしの魚屋のような灼けた顔で言った。 「自転車、後ろに積めよ。帰るんだろ? 山、登ってやるよ」  瑞輝は少し迷ったが、言われた通りにすることにした。章吾に相談したいこともあった。  軽トラの助手席に座ると、章吾は「ユアちゃんと仲良くやってるか?」と聞いてきた。そこでチーズケーキの一件の話をすると、章吾はゲラゲラと笑った。女心のわかんねぇ奴だなと。 「わかんねぇよ、女じゃねぇし」瑞輝はむくれた。章吾は右手の薬指に指輪をはめていた。ドクロの柄だ。またヤンキーみたいな女とつきあってんだろうなと瑞輝は思った。  車だと伊吹山への道はあっけないほど短時間だった。チーズケーキの話をするだけで終わってしまった。  自転車を下ろし、章吾は荷物の中から袋を取り出して瑞輝に突き出した。 「さっきお客にもらったんだ。おまえ、好きだろ?」  瑞輝は袋の中をのぞいた。長崎カステラと書いてある箱が入っていた。「くれんの?」 「やる。だから元気出せ」  瑞輝は章吾を見た。「元気だよ」 「ユアちゃんに謝れ。何が悪かったのかって聞かれるかもしんねぇ。そんときは、理由がわからないけど怒ってるからとか言ったらぶん殴られるぞ。ユアちゃんの気持ちを想像しなかった俺が悪かったって言え。そんでな、チーズケーキ旨かったって言ってやれ」  章吾は車の横に立ち、窓枠に肘をついて言った。 「ユアの気持ちを結局わかってないことは変わらない」 「違ぇんだよ」章吾は瑞輝の頭をパシッとはたいた。「気持ちをわかってくれなかった、ってことを理解してほしいんだよ。実際にどういう気持ちだったかってのは本人だってぐちゃぐちゃなわけ。そのぐちゃぐちゃを丸ごと受け止めて欲しいんだよ」 「ホントに?」瑞輝は疑いの目で章吾を見た。「それってセンパイの経験でしょ。センパイのつきあってる人と、ユアはタイプが違うからなぁ」 「だからおまえは女がわかってねぇんだよ。おまえはまともに女とつきあってねぇだろうが」 「俺だって」瑞輝は記憶を探った。そしてげんなりする。「あんまり思い出したくない」 「何だ、修羅場か?」章吾は楽しそうに身を乗り出した。「二股、三股かけたのか?」 「そんなんじゃなくて」瑞輝は息をついた。 「かけられたのか」章吾はますます楽しそうにする。 「じゃなくて」 「何だ。騙されたのか? 遊ばれたのか? おめーは本気だったのに、向こうは遊びだったとか、そういうのか?」  瑞輝は黙っていた。なんでそういうことを言うかな。  章吾は笑っていた。「ユアちゃんというものがありながら、他に手を出した罰が当たったんだ」 「ユアは俺に興味ないんだから関係ないだろ」 「おめーはホントにバカだな。史上最低のバカだな。そりゃユアちゃんも呆れるだろうな」  瑞輝は黙って空を仰いだ。バカなのはわかってんだよ。  それを見て章吾はまた笑った。 「騙されたと思って俺の言った通りにしてみな。ちゃんとうまく行くから。どうせおまえには何の策もねぇんだろ?」 「うるせーな。うまくいかなかったらどうすんだよ」 「それはおまえの言い方が悪いんだ」  瑞輝は章吾をじっと見た。「真面目に教えてくれよ」 「真面目だよ」章吾も笑顔を消して言った。「おまえとユアちゃんには、仲良くしててほしいんだよ。おまえは知らないかもしれないが、俺はユアちゃんのこと、好きだったんだぞ」  瑞輝は眉を寄せた。「マジ?」 「マジマジ、大マジ」 「チーズケーキ、好き?」 「はぁ?」 「ユアもセンパイのこと好きなんじゃねぇかと思って。ユアの親父がなんかそういうこと言ってたから」 「ユアパパが?」 「何だよ、その親しげな呼び方は」  へへへと章吾は笑う。「ユアちゃんはおめーのためにチーズケーキ作ったんだろ?」 「俺は別にチーズケーキがすごく好きってわけじゃない」 「おまえは何でも好きだろうが」 「でも、チーズケーキが特別好きってわけじゃない。どっちかというと、もっと手の混んだモンブランとかミルフィーユとか…」  章吾は瑞輝の頭を再び叩いた。 「バカ野郎。ユアちゃんは『はじめてさんの簡単ケーキづくり』をやってるんだからしょうがねぇだろ」  瑞輝は首をひねった。「はぁ?」
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