■ 金曜日 2 ■

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 体育の時間に瑞輝が何かで活躍したらしく、男子も女子も彼のことを話していた。体育祭の練習のはずが、瑞輝が曲芸的なバク転だか宙返りだかを披露したのだという。教師に写真を見せてもらった生徒もいて、チョコもそれを見たいと心から願ったが、恥ずかしくてみんなのように騒ぐ事ができなかった。  京香が平手打ちをしたことも聞いていた。京香は何も喋ってないと言っていたが、瑞輝がどうそれを解釈したのかも気になる。  私は恥ずかしくて避けてるだけで、嫌っているのではないの。  チョコはそう伝えたかった。まさか口ではっきりとなんて言えない。こんな微妙な空気感になった後では、前とまったく同じようにはできない。チョコの友達はみんなチョコに同情してくれて、あんな奴と関わらない方がいいよと言うが、チョコはできれば関わりたかった。幸いながら彼は気づいていないようだから、自分が彼を好きだという感情は奥にしまって、ただ彼を見ていたかった。  見ているだけで良かった。今までもそうだったし。  一年生のときに、クラスは違ったけど、教室移動でロの字型の校舎に迷ってオロオロしているところで後ろから声をかけられたのだった。「音楽室は一個上」とそれだけだったけど、チョコには雪山で遭難しかけているところを助けてくれたぐらいに思えたのだった。京香はそれは大げさすぎると笑うけど。  しかし彼は恥ずかしくて人に聞けないチョコの心を読むように、チョコが何かに迷っていると見透かすようにたまに声をかけてくれた。声をかけたというよりは、きっと彼にとっては道を渡れなくて困っている子犬を運んでやるのと同じことだったろうと思う。たまに彼が他の生徒にも同じことをしているのを見ていたから。落とし物を拾って本人に届けたり、プリントが落ちたら拾ってくれたり。  普通のことじゃんと京香は言う。でも名前も書いてないキーホルダーを届けたり、三階の窓の張り出しに落ちたプリントを拾ってくれるなんて、普通ではないとチョコは思う。名前も書いてないのになんでわかるのと盗んだんじゃないのと疑惑を持たれたり、窓枠に乗り出して先生に怒られたりしても平気な顔してるのはスゴイと思う。  確かにあの金色の髪の毛はびっくりした。目も最初は怖かった。でも今は気にならない。  マカロンが作れると知った時の顔や、クッキーをあげた時の顔を見てしまったし。あの嬉しそうな顔。  チョコは微笑んだ。普段はいつもムスッとしているから、余計におかしかった。クッキーやパイ、流行の店について話すときの彼は学校では見た事がない明るい表情をしていた。彼女と行くの?とチョコが鎌をかけてみたら、瑞輝は彼女なんかいないと言っていて、すごく嬉しくなったのを覚えている。  それでもチョコは何となくわかっている気がしていた。あのとき、瑞輝は具体的な誰かを思い浮かべていた気がする。それが自分でないこともチョコは知っていた。それでも、放課後に話があると言われた時は心が躍ってしまった。瑞輝の心が自分にないことを実感するのには充分な出来事だった。彼はチョコに対して申し訳ないから吉野たちに謝罪を求めたのであり、自分が彼らを怒っているのではなかった。決してチョコのために怒っているのではなかったのだ。せめて告白の場でなくてもいいから、彼にはもっと怒っていてほしかった。そんなのは自分の勝手な気持ちだとはわかっていても。  リセットしよう、とチョコは思った。瑞輝が好きになる人はどんな人なんだろうと思う。そんな人になりたい。  放課後は瑞輝はたいていさっさと帰る。彼が何をしているのかは誰もあまり知らない。神社の手伝いをしているというのが噂だが、誰も黒岩神社に遊びに行ったりしないからわからない。たまに彼がフラフラと駅前を柄の悪そうなのと歩いていたとか、黒いベンツに乗ってたとかいう話は聞く。そして瑞輝はしょっちゅう新しい傷をつけて学校へやってくる。やっぱり素行不良じゃないのと京香は呆れていたけど。  チョコはクラブで今日作る予定の梨のコンポートを彼に渡せたらなぁと息をついた。
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