祖母の家――2019年、夏 (1)

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 翌日、東京に帰る前にもう一度、兄が眠る墓に向かった。  お盆期間ということもあって、菩提寺の近くにある村営墓地には、ポツポツ人影が見える。僕のように、遠方から訪れた親戚縁者に違いない。  ばあちゃんの麦わら帽子を被った僕は、駐輪場に自転車を止めると、バケツに水を汲んで、まっすぐ「樋口」と刻まれた墓石を目指す。  ――あ  サックスブルーのポロシャツが、蹲っていた。項垂れた広い背中を丸め、微かに嗚咽に似た呻きが漏れている。 「……航、まだ……お前、をっ――」  誰だ、という疑問と同時に、聞いちゃいけないのではという焦りに囚われた。途端、動揺が足元の砂利を小さく鳴らした。 「あっ……」 「誰だ」  僕が聞きたい疑問を逆に口にして、墓前の男は、ゆっくり振り返った。 「あ、あの――」 「わた……い、つ、き、くん?」  低く震える声が、一文字一文字たどたどしく、僕の名前を呟いた。  兄と同じくらいの年格好の青年は、泣き顔を強張らせたまま、信じられないものを見たような眼差しを僕に向けている。 「樹くん、だね? 俺は、手塚颯介(そうすけ)。航の、親友だった」  濡らした頬を恥じることもないのは、その感情が真っ当なものだと確信しているからだろう。 「あ、はじめ――いえ。あなた、去年、参列してくださってましたよね?」  初めましてと言いかけた時、突然記憶の底から、スルリと映像がスライドしてきた。兄の葬式で、憔悴し切った青年がいた。雪山から今し方救出されたみたいに真っ青でガタガタ震え、この世の終わりを体現しているようだった。うろ覚えだが、面差しが重なる。  手塚さんは、驚きを溜め息で相殺して、それからハンカチで涙を拭った。長い指だ――沈黙の中、僕はそんなところを眺めていた。 「覚えていてくれたのか」  少しだけ頬を緩めると、彼は綺麗な二重を細くした。 「いえ、たった今まで忘れてました」  互いの口元に、苦笑いのような表情が浮かんだ。 「樹くん、夏休みかい?」 「はい。明日、帰ります」 「そうか。会えて、良かった」  手塚さんは会釈すると、僕の横を抜け、駐車場の方向へ歩き出した。 「あ――あのっ!」  思いがけず大声を上げてしまったことに、他ならぬ僕自身が驚いた。手塚さんも、目を丸くして振り返った。 「手塚さん、兄の親友だったんですよね。大学からの付き合いだって」 「うん……」 「兄の、こっちでの兄の話、教えてもらえませんか」  厚かましいヤツだと思われたかもしれない。呆れているのか――手塚さんは、僕をマジマジと見詰めている。しばらくすると、彼はチラリと墓石に視線を送り、頷いた。 「この後――予定はある? 明日は何時の便?」  墓参りを済ませると、僕は手塚さんとばあちゃん家に帰った。  ばあちゃんは、手塚さんと面識があったらしく、少し話した後、「ご迷惑かけまして」と頭を下げた。  僕は、急いで荷物をまとめた。予定より1日早くばあちゃんの家を出て、札幌の手塚さんの家に1泊することになったのだ。
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