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開かれる扉――2019年、夏 (2)
手塚さんのプリウスが着いたのは、札幌市内でも西側で、山に近い閑静な住宅地だった。広いエントランスに、大理石の床の高級マンション。エレベーターは、17階で降りた。
「散らかっているけど、どうぞ」
「お邪魔します」
高速道路を降りた後、ファミレスで軽く夕飯を食べてきたのと、慣れない長距離乗車のせいで、少しばかり気怠さがあった。けれども、ほとんど初対面に等しい他人の生活空間に踏み込む、という緊張感に背筋が伸びた。
「適当に寛いで」
間接照明が淡く点されると、黒い革張りの大きなソファと壁の大型テレビが視界に入った。カーテンが引かれた窓も幅広で、多分ベランダだ。手塚さんは、カウンター奥のキッチンに消え、ゴソゴソと何か始めた。
所在なく、僕はリュックを下ろし、ソファの端に浅く腰掛けた。目の前のローテーブルの片隅には、新聞や雑誌が無造作に積まれ、その横にリモコンが置いてある。
『散らかっている』の言葉は、全くの社交辞令で、むしろ生活臭の薄い部屋だと思った。
「樹くん、コーヒーでいい? 飲めるかい?」
「あ、はい」
落ち着かない様子を見られていたのかもしれない。僕は少し俯いて、そっと深呼吸した。
程なく、芳ばしい香りが漂ってきた。そして、マグカップを両手にした彼が、ソファの反対側に深く身を沈めた。
「……猫舌?」
差し出されたマグを受け取ってなお、固まっている僕を見て、手塚さんはクスリと微笑んだ。
「アイツも――航も、酷い猫舌だったなぁ」
喉を鳴らして、湯気の立ちのぼるコーヒーを数口含み、独り苦笑いしている。
「あの……兄とは、どんな風に親しくなったんですか」
落ち着くなんて無理な話だ。両掌でマグを包んだまま、ソファの端に視線を送る。
「ああ、その瞳……航に似ている」
しみじみ呟き、手塚さんは深く――悲し気な息を吐いた。
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