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やはり、昨日タケミは家に帰って来なかったらしい。
それもそうだろうな、と俺は思った。あの井戸はハシゴもなかったし、桶もなかった。自力で脱出することなどほぼ不可能だろう。
元々ちょっぴりイケメンで、女の子に優しくされるからって気に食わない奴だったのだ。俺に素直に従うようになってからも、時折“でも”だの“だって”だの言い訳するような奴である。全く反省した様子がない。いい加減、キツイお灸を据えて上下関係を分からせてやるしかないだろうと思い、今回の作戦を実行に移したのだ。
――バケモノの噂はマジだし。あいつ、オバケとかそういうのすっげー苦手だったみたいだもんな。暗闇も全然ダメだったみたいだし。一晩閉じ込められて、さすがに反省した頃だろ。
さすがに、“人殺し”になりたいわけではない。あんなクズのせいで自分が犯罪者扱いされるなんてまっぴらごめんだ。そろそろ面倒だが様子を見に行ってやるか。そう思い、俺は翌日の放課後に再び裏山に向かったのだった。当然、いつもの仲間のカズとユイを一緒に連れて、だ。
一度歩いた道は忘れない質である。小屋まで迷うことなくすぐに行けたし、わかりづらい場所にある井戸もすぐに見つかった。
問題は。――蓋の上にしっかり置いて固定したはずの、大きな石が、何故かなくなっていたということだが。
「おい、石がないぞ。誰かどかしたんじゃないだろうな?ていうか、うっかりタケミの奴を助けた奴とかいないよな?」
取り巻き二人を信用してはいるが、念のため振り返って凄んでみせる。当然、カズとユイは揃ってぶんぶんと首を振った。まあ、こいつらはしないだろう。俺の恐ろしさを誰より知っているはずなのだから。
――まさか、あいつが自力で脱出したとかじゃないだろうな?そんなこと可能なのか?
もし、タケミが一人で脱出して、“俺に突き落とされた”とか大人に言いふらしたら面倒なことになる。俺の方が成績もいいし外面もいい、先生だってそうそう信じることはないとは思うが念のため、だ。
俺はゴム手袋を嵌めると(カビやらコケやら虫やらでいっぱいの腐った蓋に触りたくなかったためだ)、蓋に手をかける。思ったよりも、重たいらしい。少し力をこめて蓋をズラした、その時だった。
「ひっ!?」
隙間から。
苔と、泥と、血に塗れた――手が。
蓋を掴んだ俺の手を、思い切り握ったのである。
「な、な、な」
声がうまく出せない。息が吸えない。予想もしていなかった事態に、喉から引きつった音が漏れるばかりだ。
俺は気づいた。その手からは、全ての爪が殆ど剥がれてなくなっているということを。だらだらと溢れる血はその剥がれた爪と、一部の指が折れて骨が突き出した傷から流れ落ちているということを。
「ば、ば、バケモノ……!」
そう呼び、振り払おうとした瞬間。
井戸の隙間から、ぎょろんと血走った目が覗き――ガラガラ声が、怒鳴った。
「バケモノ ハ オマエダ!!」
蓋が壊れる音と共に。
俺の景色は一気に逆さまになり――真っ暗な闇へと、引きずり込まれたのである。
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